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第12回 アヒルとガチョウ

 とにかくアヒルもガチョウも、世界中で家禽として飼育されている。でもそのオリジンが何であったのかを知る人は意外に少ない。
 まあそれも当たり前かもしれない。アヒルやガチョウのオリジンであるカモやガンにもオリジンは当然ながらある。そのまたオリジンにもまたオリジンはある。これをくりかえせば、38億年前の原初の地球の海に誕生した自己複製機能を持つアミノ酸にまで辿りついてしまう。どこかで手を打たなくてはならない。でもその手を打つタイミングが、近年はあまりに刹那(せつな)的で、そして前倒しになりすぎているような気がする。前提を失ったレトリックはダイコトミー(二分法)に陥りやすい。畏友(いゆう)である佐藤優が、こんなことを言っていた。
「ウサギの(つの)の先端は丸いか尖っているかと質問されたのなら、そもそもウサギには角はないと答えるべきなんです」

 今日の日付は3月20日。米軍によるバクダッド侵攻から6年が過ぎた。あのときは「フセイン政権はアルカイダとの関係がある」ことと「大量兵器を隠している」との断定が、侵攻の大義になった。でも今ではもう、そんなことを口にする人は誰もいない。アルカイダとの関係などまったくないし(そもそも世俗的なフセイン政権はアルカイダと相性がよいはずはない)、大量破壊兵器も見つからなかった。でもあのときには日本の多くの政治家や識者やジャーナリストやコメンテーターたちが、北朝鮮の脅威を理由に米軍の侵攻を支持した。そのときに言うべきだったのだ。ダイコトミーに陥ってはいけない。前提を喪失してはならない。たとえアルカイダと接点があったとしても、大量破壊兵器を開発していたとしても、それは攻撃してもよいとの理由ではない。人を殺してよいとの理由になどならない。

 そんなことを考えながら池のほとりを歩く。アヒルはカモ。ガチョウはガン。ふと足をとめる。目の前にはアヒル。カメラをかまえたけれどピントが合わない。ならばと数歩近づいたら、突然けたたましい声をあげて向かってきた。まさしく短気で自己中心的だ。家禽化されたのに独自のタイプ。まあ本当に自己中心的なのは、そもそもは無理やりに家禽化したこちらの側なのだけど。

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