今から十数年前、僕は阿佐ヶ谷に住んでいた。テレビ・ディレクターとして週七日のうち三日はスタジオや会社に泊まりこんで、ロケハンやら撮影やら編集やらで、とにかく駆け回っていた時代だった。
そのころ住んでいたアパートから阿佐ヶ谷駅までは徒歩で十分ほど。早朝ロケに行くために眠い目をこすりながら駅に向かうその道すがら、二つの手のひらを合わせたほどの巨大なアズマヒキガエルが、のっそりと舗道の端を歩いている光景をよく目撃した。
ヒキガエル属全般の特徴だが、外敵などに襲われたとき、皮膚に点在するイボと後頭部にある耳腺から、乳白色の毒液を分泌する。 だから彼らを捕食しようとする動物はとても少ない。阿佐ヶ谷には猫が多い。好奇心旺盛なはずの彼らだけど、ヒキガエルには決して手を出さない。路上にじっと佇む猫。その視線の先にはのそのそと動くヒキガエル。そんな光景を、この時期に何度も目撃している。おそらくこの猫は、かつてうかつに手を出して、相当に手痛い目にあったのだろう。
だからヒキガエルには天敵はいない。唯一の例外が、一説にはハブの数倍という猛毒を持ちながら、長く無毒の蛇と思われてきたヤマカガシだ。
ヤマカガシの毒牙は、口腔のかなり後方に位置している。だからよほど深く咬まないと相手に毒液を注入できない。性格もどちらかというと温和なので、それほどの猛毒を持つ蛇であるとの認識はなかなか広がらなかった。そのヤマカガシの頚部には、毒牙に繋がる毒腺とは異なるもうひとつの毒腺がある。危険が迫ったときには相手の目を狙って、その頚部の毒腺から毒液を飛ばすと言われている。これも相当に強い毒で、もしも眼球を直撃されたら、最悪の場合は失明することもあるという。
ヒキガエルを好んで捕食するヤマカガシは、ヒキガエルが分泌する毒に対して、何らかの耐性があるようだ。さらに最近の研究では、捕食したヒキガエルの毒を体内に貯めて、頚部から分泌される毒として再利用していることも明らかになった。
捕食した生物が有していた毒を濃縮しながら貯蔵する生物濃縮の例としては、テトロドトキシンを持つ海洋性細菌が、プランクトンや貝などの食物連鎖を経過しながらフグに摂取されてフグ毒となる例を挙げるまでもなく、決して稀有なことではない。
とはいえ何だかすさまじい。毒の連鎖に濃縮に再利用。今さらだけど自然界は過酷だ。潜在的フリーターで自信薄弱で卑屈な性格だけど、それでも人に生まれてよかったとつくづく思う。