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写真・文/森達也

第17回 地球温暖化とセミ

 今年の夏は熱い。暑いじゃなくて熱い。何だこれと言いたくなる。どうかしている。これまでどちらかといえば、エコロジー全般に強い関心はないほうだったけれど、さすがにこれはまずいかもしれないと思い始める。
 終わったばかりの洞爺湖サミットの主要なテーマのひとつが、地球規模の温暖化。それもあってこのところ新聞紙面などでは、連日のように「温暖化」の文字を見かける。
 眺めながらふと思う。誰が最初に言い出したのかはわからないけれど、この現象を示す言葉として「温暖」なる言葉は、絶対に不適切だ。だって意味としてはぬるくて暖かい。うたた寝をしたくなる。厳しい寒さが和らぎかけた春のぽかぽか陽気を想像してしまう。
 だから温暖化と言われても、何となく深刻さが伝わってこない。僕も含めて多くの人が、地球環境の激変についてどこか他人事になってしまっている理由のひとつに、この温暖化という言葉のイメージがあるのではないだろうか。
 とにかく今年の夏のこの暑さを形容する言葉として、「温暖化」は絶対にふさわしくない。使うなら「灼熱化」とか「熱帯化」だ。地球温暖化ではなくて地球灼熱化。今からでもそんな言葉に軌道修正したほうがいい。

 とにかく暑い。何だかはっきりしない梅雨明けと同時に灼熱だ。この7月下旬、暑さに喘ぎながら往来を歩いていて、ふと気がついた。

 セミの声が聞こえない。

 毎年この時期は蝉時雨だったはずだ。でも今年は、本当に見事なくらいぷっつりと、セミの声が聞こえない。
 ただし補足しておかねばならないが、「毎年聞こえていたのに今年は聞こえない」と断定するならばその前提として、毎年この時期には聞こえていたことを、客観的なデータや数値などを引用しながら証明する必要がある。人の感覚は意外と信用できない。思い込みや錯誤の領域は決して小さくはない。記憶はともすれば美化される。時系列が編纂される。美化や編纂が追いつかないほどに嫌な記憶であれば、いつのまにか無自覚に削除される。特別なことではない。むしろそんな加工を施されていない記憶など、ありえないくらいに思っておいたほうが間違いはない。
 まあでも僕にとって、セミが毎年鳴き始める時期の記憶については、特に美化したり編纂したりする必然性や理由はない。やはり感覚論になってしまうけれど、毎年少なくとも梅雨明けとともに、セミたちは一斉に鳴きだしていたはずだ。

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