首都圏動物記のトップへ WEB連載 5

第2回 奥武蔵のプラナリア2

 全能性幹細胞は、あらゆる組織の細胞に分化する能力を持ち、同時に未分化のまま自己増殖する特殊な細胞だ。プラナリアの全細胞のうち約一割は、この全能性幹細胞によって占められている。だから旺盛な再生能力を持つ。尻尾の先端のほんの小片からでも、そこに幹細胞があるのなら、脳や消化器などの細胞をすべてつくりだすことができる。

 ちなみに人の身体にも全能性幹細胞は存在する。ただしその時期は受精後3週間くらいまで。つまり受精卵の時期だ。その後は失われる。だから腕や足を失えばもう再生はしない。

 理論はここまで。あとは実践だ。つまり再生実験。当然ながらそのためには、プラナリアを切断せねばならない。

 世の中には2通りの男の子がいる。虫やカエルを殺戮さつりくすることが平気な子と、どうしてもできない子だ。そして僕は後者だった。

 念を押すけれど、これはたぶん慈悲とか優しさとかとはあまり関係がない。子供時代にカエルの口やセミのお尻に2B弾(爆竹の一種。牛乳瓶を内側から破裂させるほどの破壊力があった。駄菓子屋で売っていたが、全国各地で子供の怪我や火事が相次ぎ、昭和41年に製造中止となった)を入れて爆破させるという遊びをやった人は、僕の世代に多いと思う。あくまでも印象だけど、この遊びを率先してやっていた子供たちが、特に残虐な気質だったとは思えない。男の子にとって虫や小動物を殺すことは、ひとつの通過儀礼的なニュアンスがきっとあるのだろう。

 でも僕は殺さなかった。正確には殺せなかった。理由はよくわからない。でも少なくとも、殺す子供たちが特に残虐ではなかったことと同様に、優しくて慈悲深いから殺さなかったわけではない。何となく怖かった。要はそういうことだ。意気地がなかったということなのだろう。

 というわけで、やっとプラナリア切断の準備にとりかかったのは、実はこの原稿の締め切りの3日前。本当なら再生の過程もきちんと記録せねばならないから、もっと早い段階で切断しておくべきだった。いまさら悔いても仕方がないけれど。

 パソコンの横に置いてあるタッパーを手許に引き寄せる。水の中には小さな石が入れてある。プラナリアの姿はない。彼らは光を嫌うので、昼はほとんどこの石の下にもぐっている。ならば夜は出てくるかといえば、そうでもない。基本的に刺激を与えないかぎりは、とても緩慢な動物だ。つまり競争原理がない。想像だけど、おそらくは天敵もあまりいないはずだ。

 初めての切断。もちろん教本は必要だ。今回参考にしたのは、プラナリア研究では第一人者の阿形清和が子供向けに書いた『切っても切ってもプラナリア』(岩波書店)だ。まずは手術台を用意せねばならない。キャンプ用品の紙皿に水を入れて、冷蔵庫の冷凍室に入れておく。水が凍ったらその上にコーヒーフィルターを敷き、スポイトで水中から吸い上げたプラナリアをフィルターの上に置く。ペーパーフィルター越しに氷の冷気に触れたプラナリアは、たちまち丸い玉のように縮み、そのままじっと動かなくなる。つまりこの氷の寝台は、プラナリアにとっては麻酔のように作用するらしい。

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