首都圏動物記のトップへ WEB連載 5

第4回 千葉北西部のイトミミズ

 生態学などで水質や大気などを調査する際に、そのエリアにどんな生きものが生息しているかを調べる手法がある。見つかった生きものの種類によって、そのエリアの環境が類推・評価されるわけだ。その際の指標とされる生きものを指標生物という。条件としては、生育できる環境が極めて限定的であることが要求される。
 1984年、環境庁(現環境省)が日本全域の河川などの水質階級マップを公表したときに、重要な要素として使われたのがこの指標生物だ。水の汚れを指標する生きものとして、環境庁は16(現在は30)種の生物を設定した。「最もきれいな水」を示す生きものはウズムシ類。つまりプラナリアを含む一族だ。次点はサワガニ。そしてイトミミズは、「最も汚れた水(強腐水性水域)」の指標生物とされている。

 確かに彼らは汚水に強い。腐敗など有機的な汚れだけでなく、都会の工場地域の溝など重金属による汚染が進んだ水にも生息することができる。また前述のように酸素の欠乏にも強い。かなり特異な生きものだ。

 深海に暮らすチューブワームという生きものがいる。分類はハオリムシ類。虫ではなくゴカイなど環形動物に近い。だからイトミミズとも近縁だ。このチューブワームは深海の底にあるチムニー(硫化水素やメタンなどが含まれる熱水を海底の地中から噴出する自然の煙突)の周辺にのみ生息する。普通の生きものなら即死するようなこの環境に適応したチューブワームは、猛毒の硫化水素を体内に共生するバクテリアによって有機物に変えている。身体の先端にある真赤な羽毛のような器官をユラユラと海中に漂わせながら、硫化水素を吸収すると同時に酸素と二酸化炭素を交換している。 
 何だかイトミミズに近い。だからこのチューブワームの存在を知ったとき、もしかしたらイトミミズも有毒な重金属を栄養にしているのではと一瞬考えた。でもそうではなかった。摂取した堆積物の中の重金属を、イトミミズは濃縮して体内に溜め込んでしまう。チューブワームは硫化水素をバクテリアによって栄養素に変えるけれど、イトミミズはそこまでの芸当はできない。ただ溜め込むだけだ。いわば身を挺してイトミミズは水を浄化する。

 汚れた水に対してはこれほどに耐性が高いのに、不思議なことにイトミミズの飼育はとても難しいようだ。ネットで見つけた観賞魚販売業者のホームページによれば、イトミミズの蓄養(飼育)期間は最長でも1週間程度。これを過ぎるとほとんどが死に絶えてしまうらしい。原因は不明。繁殖も今のところは難しいらしい。だから中国などから定期的に輸入しているとのこと。

 強いのに弱い。相反している。汚いことに平気だと思われているけれど、実は平気ではない。重金属が溶け込んでいる水など、本当はイトミミズだって敬遠したいだろう。天敵がいないから敢えてそんな劣悪な場所に暮らすのだ。
 要するに我慢強い生きものだ。彼らのこの忍耐によって、結果的には水が浄化される。損な役回りだ。ずっと身近にいた。でもこれまで凝視したことはなかった。たぶんこの連載がなかったら、僕はスーパーの横の溝を素通りしていたと思う。気づくことなど決してなかっただろう。

 世界は複雑だ。そして厖大ぼうだいだ。あらゆる要素がある。でもそのすべてを知るためには、人の一生はあまりに短か過ぎる。何を知って何を素通りするか、それはあなたが決めている。言い換えれば、世界はあなたの思うがままなのだ。

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