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【Aperitif de Cinema】「映画」という名のメイン・ディッシュをより深く味わうために、“科学フレーバー”の食前酒はいかが?

写真・文/佐保 圭

今宵の逸品

Dr.パルナサスの鏡

ヒース・レジャーの遺作にしてテリー・ギリアムの最高傑作
夢を忘れた大人のための究極のファンタジー

2007年、ロンドン。パルナサス博士は、自ら発明した装置「イマジナリウム」を馬車に乗せ、一人娘ら芸人一座と巡業の日々を送っていた。一見キッチュなこの装置、実は科学の力によって、人が心の奥に秘めた願望を具現化する画期的な発明品だった。やがて、彼らの前に博士の娘の魂を狙う悪魔と謎の男(ヒース・レジャー)が現れ、物語は一気に加速し、夢と現実の世界が交錯するめくるめく大人のファンタジーが展開するのだった。

■原題:The Imaginarium Of Dr.Parnassus
■監督:テリー・ギリアム
■主演:ヒース・レジャー

劇場映画
Dr.パルナサスの鏡
  • 提供・配給:ショウゲート
  • 公開:1月23日(土)TOHOシネマズ有楽座他全国ロードショー
  • 公式HP
今宵の1杯

 あのヒース・レジャーの遺作であり、彼の突然の死の代演のためにジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウが駆け付け、脇役でトム・ウェイツが悪魔を怪演するという豪華すぎるキャスト。しかも、監督は『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』など傑作を連発してきたテリー・ギリアムの久々の大作である。しかも、監督自身が“自伝的な映画”と位置づけた映画のタイトルにもなっている『Dr.パルナサスの鏡』の存在が洒落ている。
 Dr.パルナサスがその卓越した科学力で生み出した画期的な装置の中に入ると、そこでは自らの抱く“夢”や“欲望”が具現化され、実体化されるのである。
 めくるめく映像美に見とれながら『そりゃあ、“夢”を映像化できればこんなにすてきなことはないけど、いくら科学が進歩したからって、そんなの無理に決まってるよな』と愚痴りはしたが、そこはめっぽう諦めの悪い性分。家に帰ると、一縷の望みにすがって調べてみることにした。
 すると、あるプレスリリースのとんでもない1行が目に飛び込んできた。
 「本研究では、実際に見ている画像の再構成を行ったが、同じ手法を用いて、心的イメージや夢のような物理的には存在しない主観的体験を、画像として客観的に取り出せる可能性がある。」
 心的イメージや夢を画像として取り出せるだってぇ?!?
 それって『Dr.パルナサスの鏡』の話そのまんまじゃないか?
 そんな突拍子もない話、俄には信じられない……。
 ということで、早速、この画期的な研究を進めている(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報研究所神経情報学研究室の神谷之康室長のもとを訪ねた。

▲ひとが見ている夢の映像化につながる研究をしている(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報研究所神経情報学研究室の神谷之康室長。

 インタビューが始まるや否や、開口一番、訊ねた。
 「ずばり、夢の画像を取り出すことなんてできるのでしょうか?」
 神谷さんは落ち着いた口調で淡々と答えた。
 「いずれ原理的には、人がみている夢に似ている画像をコンピュータ上で再現することはできると思います」
 げっ、やっぱり本当の話だったんだ!

夢も現実も脳の活動は同じ


 でも、夢の映像化がとてつもなく困難というのは、ちょっと考えてみればわかる。
 たとえば視覚に関しては、ネコやサルなど動物の脳細胞に直接電極をつなぎ、脳活動を調べる実験が行われてきた。その脳活動のデータから、見ている線分の角度(横か、穏やかな斜めか、急な斜めか、縦か、など)を判定するのは、以前から可能だった。ただ、その答えは、当然、前もって準備実験しておいたパターン(横か、縦かなど)のなかからしか選べなかった。
 神谷先生自身の以前の研究でも同じことが言えた。
 2006年5月、神谷先生らATRの研究チームと(株)ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンとの共同研究開発として発表された「脳でロボットを操作する基礎技術」が話題となった。

▲ジャンケンの脳情報の復号化について(報道発表資料「脳から知覚映像を読み出す ?ヒトの脳活動のパターンから見ている画像の再構成に成功? ATR脳情報研究所 神経情報学研究室」より引用)

 まず準備実験として、被験者にグー、チョキ、パーそれぞれを出させ、そのときの脳活動を計測する。画像データから脳活動の運動指令に関与する部分だけを抽出してコンピュータで解析、その結果をロボットハンドに送り、被験者と同じ動作をさせるのである。この実験には、かなり高度な科学技術が駆使されているけれど、答えとしては、前もって与えられているグー、チョキ、パーの3つの選択肢のなかから選べばいい。
 でも、夢の場合、「選択肢から選ぶ」という方法での再現はムリだ。
 『Dr.パルナサスの鏡』でもそうだけど、夢のなかには、現実の世界では決してお目にかかれないものが常識ではあり得ないかたちで現れたりする。そんな突拍子もないものを「選択肢として前もって見せておく」なんて、できっこない。なのに「夢を情報として取り出せる」ということは、それってつまり、ヒトの頭のなかに浮かんだ映像をそのまま取り出せるってこと……そんなこと、本当にできるの?
 とりあえず、まずは基本的な疑問から訊ねてみた。
 なぜ「実際に見ている画像の再構成」ができれば「心的イメージや夢を画像として取り出せる可能性」があるの?
 「睡眠中は、約1.5時間サイクルで、レム(REM)とノンレム(Non-REM)の状態がくり返されています。REMはRapid Eye Movementの略、つまり、目が激しく動いている状態です。このレムのときによく夢を見ると言われています。そこで、他のグループの論文からの引用ですが、目が動くタイミングの脳の活動をf-MRIで計測し、データを平均していくと、視覚野が非常に強く活動していることがわかります。だから恐らく、夢見ているときも、普通にものを見ているときと同じように視覚野が活動していると考えられるわけです」
 ちなみにf-MRI(機能的磁気共鳴画像装置)とは、最近、病院などで脳や内臓などの形を見るために使われているあのMRIのことで、このMRIの前に“f-”がつくと、形ではなく状態、脳の場合には活発に活動している部位が示されることになるという。ちなみに、臓器の形を見るMRIも、脳の活動のようすを調べるf-MRIも、装置としては全く同じもので、ただ、MRIとf-MRIとでは調べるパラメータが変わるだけなのだという。
 なるほど〈目で何か見ている〉ときと〈夢見ている〉とき、ともに脳の視覚野が活動しているというのはわかった。
 でも、だからって「目で見ていること」が映像化できたら「頭のなかにイメージしたり、夢見たりすること」も映像化できるって、そこまで同じ扱いをしていいの?
 だったら、脳の視覚野さえ刺激してやれば、目ぇつぶってたって画像が見えるってことになるんじゃない?
 「1999年、カリフォルニア工科大学にいた頃に『脳の磁気刺激によって視野に穴を開ける』という内容の論文を出しました。そのとき、頭に押しつけた大きなコイルに何百アンペアっていう電流を一瞬パルス状にしてパチパチっと流す実験をしていました」
 そ、そんな実験までしてたんですか。
 「電流を流すと磁場が生じて、脳の表面に近いところの神経細胞が刺激されます。すると、光がもあっと出るとか、見ていた模様に穴が開くとか。目を閉じていても、ぱちってすれば、見えますよ」
 はぁ……見えるんですか……じゃあ、納得しました。なるほど、だから「実際に見ている画像の再構成」と同じ手法で「心的イメージや夢を画像として取り出せる可能性」があると言えるんですね。
 ということで、ここからは、神谷先生がどのようにして「実際に見ている画像の再構成」を実現したのか、追ってみよう。

理解不能でも脳は“見ている”


 

 まず、現在の方法でどの程度の画像が再構成できているのか、見せてもらった。

▲上が被験者に見せた図形、下が被験者の脳活動から再構成された図形。

 すごい!
 脳活動から再構成された図形から、もともと現実の世界でどんな図形を見ていたのか、ちゃんと想像できるくらいに再現性の精度は高かった。
 しかも、この方法だと、被験者に見せている画像を変えていった場合、その画像を少しの遅れの範囲で脳活動から再構成できるので、動画のようなかたちで表現することも可能なのだという。

▲左のフレームが被験者に見せた画像、右のフレームが被験者の脳活動から再構成した画像。時間を短縮した早回しで見せている。

 では、具体的にはどのような形で実験されているのか、そのプロセスを追ってみよう。
 まず、準備段階として、あらかじめ被験者の脳活動のデータを収集しておく。
 被験者はMRIの装置のなかに入る。

▲実際に実験に使われているMRI。

 MRI装置のとなりにスクリーンが用意されていて、MRIのなかに横たわった被験者は鏡を通してそのスクリーンに映し出される画像を見る。その大きさは、10cm×10cmの四角形を50cmくらい離れたところから見たときのサイズだ。「意外と小さいものなんですね。もっと視界いっぱいの画像かと思ってました」と言うと、神谷先生は「意識しないと気づきませんが、本当に見えている部分は視界の中心だけで、周囲はぼけているんです。視界の中心部分に脳の8割くらいが使われていて、あとはぼんやりとした画像としてしか処理されていないんですよ」と教えてくれた。
 この10cm×10cmのスクリーンに映し出された画像を見ているときの被験者の脳活動がf-MRIで計測され、データとして収集される。
 被験者には440枚の画像を見せる。見せる秒数は実験によってちがうが、例えば「1枚6秒」の実験の場合だと、1時間かからないで済ませられる。
 こうして入手した被験者の画像440枚分の脳活動のデータは、コンピュータで解析される。
 これで準備完了だ。
 あとは、実験の際、被験者の脳活動をf-MRIで計測し、そのデータを準備しておいた解析データと照合することにより、その場で被験者の見ている画像を再構成するのである。
 こう説明すると『やっぱり選んでるだけじゃん。その440枚の画像のなかに□とか×とかnとかeとかが入ってて、前もって見せてたわけでしょ?』と誤解する人がいるかもしれない。
 そんなものは見せていない。なぜ、そう断言できるのか。実験の準備段階として被験者に見せている440枚の画像がどんなものなのか見れば、一目瞭然だ。

▲準備段階として脳活動のデータを取るために前もって被験者に見せている画像の例。そのあまりにランダムな無意味さは、あのQEコード並みだ。

 ほらね。こんな画像、何枚見せられたって、ちんぷんかんぷんでしょ?
 つまり、準備実験では、被験者の「見る」という状況のなかから純粋に生理的現象のデータのみが抽出されているのだ。
 この方法なら、確かに、現実的にはあり得ない「心的イメージ」や常識的には考えられない「夢」だって、そのまま映像化できるかもしれない。
 ただ、あまりの予想外の展開にちょっと混乱して、思わず素直な感想を漏らしてしまった。
 「人間は意味のないもの見ても反応していないと思っていました。なのに、こんなわけのわからない、記憶にも残らない図形でも、見たら、やっぱり脳は機械的に反応していたんですね」
 「とくに1次視覚野とかは反応しているんです」と言って、神谷先生は慰めるような眼差しを向けた。「結構あるんです、脳に残っている情報って。そういうのが我々の意識のディテールを決めている。意識にのぼっているのはごくわずかで、意識にのぼっていなくても、脳にはちゃんと情報が送られているんです」
 なんだか哲学的な話になってきたが、では、肝心の“脳活動のデータ”というのは、どんなふうにして収集されているのだろうか。
 実は、そこにこそ、神谷先生の研究チームが世界で初めて“人間の見ている画像の再構成”に成功した理由があった。

エンコードからデコードへ


 

 記事の冒頭の「動物実験」の例もそうだが、もともと脳の研究は、手術などにより直接脳に触れて各部の電位差などを測る方法で行われていた。
 その後、f-MRIの登場で、直接脳に接触しなくても、脳の血流変化から脳活動の計測が可能となり、脳研究は飛躍的に進歩した。
 それでも「被験者に刺激や実験条件を与え、その際に脳がどう応答するのか観察する」というアプローチに変わりはなかった。
 「画像を見せる」などの刺激や実験条件が「情報源」だとすれば、脳活動(脳からの信号)は「符号」とみなされる。よって、従来のアプローチは「符号化(エンコーディング)」と言える。
 しかし、神谷先生の現在の研究のアプローチは、その逆だ。
 記録された脳活動のデータを要約し、人間が理解しやすい知覚や認知内容に翻訳する。言い換えるなら「情報源」から得られた「符号」を「復号化(デコーディング)」しているわけだ。
 「昔からの知り合いが脳のイメージングの研究をしていて、おもしろいと感じて勉強を始めたのですが、そこでやっていたのは従来型のイメージングで、何かものを見せたら脳のどこが活動するかっていうエンコーディング的な発想でした。『なんかおもしろくないな。もっと脳の画像に情報が含まれているんじゃないか』と思って、それで、脳の画像をある種の脳のモデル、つまり“ニューラル・ネットワーク”で解析してみようと考えたんです(神谷)」
 ニューラル・ネットワークとは、脳と同様の特性をコンピュータでシミュレーションする数学モデルだ。
 「脳は、シナプスがニューロン間の重みを変えることで学習しますが、ニューラル・ネットワークでは、入力と出力の関係をコンピュータにあらかじめたくさん与えておいて学習させます。すると、かちっとしたものを入力しなくても、ファジーな情報からパターンを引き出すことができるようになる。ニューラル・ネットワークはパターン認識が得意なんです。脳の画像というのは、ぱっとみてもよくわからない複雑なものですが、それをニューラル・ネットワークにかければ、もっと隠れた情報を引き出せるかもしれないと考えたわけです」
 この「f-MRIで得た脳活動の情報をニューラルネットワークでデコードする」という発想が、神谷先生の現在の研究につながる。

1個1個ではなく全体のパターンを見る


 

 「大脳は3㎜くらいの薄いシートが折り畳まっているもので、そのなかの第一次視覚野の部分をf-MRIによって記録します(神谷)」
 このとき記録された脳画像の画素は、従来の脳細胞への接触型の実験の際に採用された画素よりも大きな3mm×3mm×3mmという空間解像度なので、“pixel”ではなく“voxel”と呼ばれる。
 この「画素の粗さ」こそが、神谷先生の画期的なアプローチを生み出すきっかけとなった。
 動物実験などの「器具を脳に直接触れさせる実験」では、0.1mm角程度の単位で神経細胞群の活動が計られてきた。
 非接触型のf-MRIには「通常状態の人間の脳活動が調べられる」という大きな利点がある一方で、調べられる脳活動は最小単位でも3mm角が限界だった。
 「そんな粗さでは細かいことなどわかるはずない」ということで、以前は人間の脳のおおまかな機能分担の研究にしか使われてこなかった。
 神谷先生はこの「粗さ」を逆手にとった。
 「従来の実験では一個一個のピクセルを独立に考えていましたが、それらを全体のパターンとしてみれば、もっと情報があったわけです」
 f-MRIの画像の画素voxel(3mm角)は、多数集まった0.1mm単位の神経細胞群の活動の平均値の表れだと考えられた。平均値であるから、当然、情報としては弱くなってしまう。しかし、神谷先生の研究チームでは、このvoxelを単体で見るのではなく、多くのvoxelを組み合わせ、機械学習(ニューラルネットワークはその一種)の手法によってパターンとして認識することで、脳画像全体を1つのデータとしてとらえ直したのである。
 このパターンをf-MRIの脳画像から逆算することで、被験者が実際に見ている画像をコンピュータ上で再構成できたわけだ。
 現在、再構成には10×10のモノクロ画像が使われている。1個の画素には白か黒かの2通りあるので、理論的には2の100乗(30桁レベル)のパターンが可能となる。
 ただ、人間の認知レベルで考えるならば「まだ電光掲示板に毛が生えた程度です」と神谷先生は謙遜する。
 しかし、複雑な形でなければ、アルファベットやカタカナだけでなく、被験者にとって全く未知なる形であっても問題なく再現できることを考えると、この技術が進めば、夢や心的イメージの映像化も決して“夢”ではなくなるだろう。
 取材の最後、神谷先生に将来の夢を尋ねてみた。
 すると「夢というか……今は脳から情報を読み出すことをやっていますが、それが本来の目標じゃないんです」という意外な言葉が返ってきた。

▲神谷先生のみる“夢”は、脳の情報の解読に留まらない。

 「究極的には、脳という物質と心の状態がどういう関係にあるのかを明らかにしたい。その手段として情報の解読をやっているところです。ここから『どうやって物質に心が宿るのか』を明かにしていきたいというのが、夢というか、研究のモチベーションになっています」
 穏やかで真摯な語り口に耳を傾けていると———この人なら、いつか“Dr.カミタニの鏡”をつくっちゃうかもしれない———そう思えてならなかった。

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