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【Aperitif de Cinema】「映画」という名のメイン・ディッシュをより深く味わうために、“科学フレーバー”の食前酒はいかが?

写真・文/佐保 圭

今宵の逸品

バグス ワールド

世界初の特殊なカメラ技術によってリアルに撮影された200万匹のシロアリと2000万匹のアリの壮絶バトルの一部始終

西アフリカ・中央サバンナの奥地にある高さ数メートルに及ぶ巣の中で、オオキノコシロアリたちは、巣の補修・増築、子育て、食糧となるキノコの栽培など、複雑に役割分担された高度な社会生活を営んでいた。そんな平和な王国に、あらゆるものを食い尽くしながら行進を続ける凶暴なサスライアリの軍団が襲いかかり、シロアリvsアリの凄絶なバトルが勃発! 特殊カメラで映し出されるミクロな世界での彼らの死闘は、CG映像に飽きた観客に「本物ゆえの迫力」を思い出させてくれる。“感情”を持たない昆虫同士のバトルシーンは、あまりに凄絶すぎる!!

■原題:LA CITADELLE ASSIEGEE
■監督:フィリップ・カルデロン
■主演:オオキノコシロアリ サスライアリ

劇場映画
バグス ワールド
  • 提供・配給:エイベックス・エンタテインメント/トルネード・フィルム
  • 6月28日 TOHOシネマズ六本木ヒルズ 池袋シネマサンシャインほか全国ロードショー!
  • 公式HP
今宵の1杯

 まず驚かされるのは、巨大な巣の中で営まれるオオキノコシロアリたちの社会生活のレベルの高さだ。
 体長約4ミリの働きアリは、高さ数メートルに及ぶ巨大な巣を建築・増改築・補修する者、卵や幼虫の世話をする者、巣(コロニー)の外から主食となる材木を運んでくる者など、さまざまな役割を分担している。さらに、材木を咀嚼してコロニーの特定の場所にストックし、そこで菌類(キノコなど)を栽培している者までいる。一方、体長約8ミリの兵隊アリは、巣を侵略しようとする敵が現れると、巨大な頭で穴を塞いで侵入を防いだり、巨大なアゴで侵入者を切り裂いたりする。

 1つのコロニーにいる何百万という彼らはみな、1組の王と王女から生まれた。王は平均的な働きアリの倍の大きさを誇るが、女王は桁違いにでかい。体長は約10センチ。頭と胸は王と同じく働きアリの2倍程度だから、体長のほとんどは白色のメンタイコのように見える巨大な腹部で占められている。女王は定期的に王と交尾し、この巨大なメンタイコをビクンビクンと蠢動させながら、1日に3万個、1生で1億個以上の卵を産む。
 このように、オオキノコシロアリのコロニーでは、きちんと役割分担された高度な社会システムが機能している。そんな鉄壁の要塞に、同じく高度な社会性を持つサスライアリの軍団が襲いかかるとき、オオキノコシロアリは、虫とは思えないほど高度な防衛行動を見せ始める。

 働きアリたちは、急いで女王の間への進入路を塞ぎ始める。まだ幼い者たちまでもが、大人を真似て壁の穴を埋めていく。しかし、塞ぎ切れなかった穴からサスライアリたちの侵入が始まると、警護していた兵隊アリたちはパニックに襲われ、王と女王の周囲をぐるぐると駆け回り始める……。

 凄絶な死闘の結末は映画を観てのお楽しみとして、オオキノコシロアリやサスライアリの丁々発止の攻防を見ていると、つい思ってしまった。
 『オオキノコシロアリって、頭いいなぁ』
 感嘆した直後、ふと考えた。
 『アレ? 昆虫ってモノを考えてるんだっけ? でも、それぞれがきちんと考えてないと、あんなに高度な社会生活をうまく回していけるはずないし……!?』

 考えれば考えるほど考えがこんがらがってきてしまった。そういうときは専門家に教えてもらうのが1番!ということで、東京農工大学・動物行動学研究室の講師で理学博士の佐藤俊幸先生の研究室を訪ねた。

▲東京農工大学・動物行動学研究室の自らのデスクに座る佐藤俊幸先生。

 取材は、映画に対する佐藤先生の感想から始まった。
 「ふだん観察できないところを鮮明な映像でとらえているので、素晴らしい映画だと思いました。基本的な生態や行動は、ちゃんと正確にとらえていると思います」

 なるほど。研究者から見てもハイレベルなドキュメンタリーというわけだ。ふと見ると、研究室のホワイトボードには「真似て」とか「パニック」という言葉が書き出されていた。

 『きっと、オオキノコシロアリが人間のように考えたり感じたりしていることの例としてピックアップされたんだな』
 そう思って訊ねると、全く逆の答えが返ってきた。
 「映画のナレーションで、擬人的すぎると感じられたものを書き出してみました。『真似て』とか『パニック』というのは、人間の主観というか、人間が昆虫の立場にたって類推した表現です。実際のシロアリは、他のシロアリの行動を見て真似たりしませんし、パニックという言葉に含まれる焦りや恐怖など、人間のような感情があるかは疑わしいと思います。これらは『本能行動』の一端であり、『もともとプログラムされている行動がフェロモンを主体とした情報伝達によって発現した』という方が正確でしょう。映画に出てくる擬人的な形容のほとんどは、昆虫に感情や思考能力があることを仮定した表現なのです」

 つまり、昆虫はプログラムされた通りに動いているだけで、決して『考えたりしない』ということだ。
 もちろん無脊椎動物の昆虫が「人間のように考える」などとは思ってはいなかった。でもなぜ、シロアリは考えもせずにあれほど高度な社会を築くことができたのだろうか。
 謎を解き明かすため、佐藤先生にレクチャーをお願いした。

ダーウィンのジレンマだった「不妊ワーカー」の存在


 コロニーの中に社会をつくり、集団生活することで効率よく資源を利用している昆虫を「社会性昆虫」と呼ぶ。昆虫の中で社会性を持っているのは、アリとシロアリの仲間のすべて、そして、ハチ、アブラムシ、アザミウマの仲間の一部だという。


 これら社会性昆虫も最初から社会を持っていたわけではなく、いくつかの段階を経て社会を持つようになったと考えられている。
 最初は、アリやシロアリやハチなどの祖先も卵を産みっぱなしにしていた。
 ところが、たとえば卵の捕食者が多い環境などでは、親が保護した方が卵の生存率が高くなり、結果的に〈一生涯に残せる子孫の数〉が増えるケースが出てくる。そのような場合、「卵の保護」の方向に進化が進む。同様に、生まれたばかりの子どもを放っておくのではなく保護した方が〈一生涯に残せる子孫の数〉が増えれば、やはり進化はそちらの方向に進む。このように「卵や子どもが保護されること」を亜社会性と呼ぶ。


 生まれた子どもはよそに行って勝手に卵を産んでいたりしていたが、やがて、子どもが出て行かずに母親と一緒にとどまるようになる。
 さらに、とどまった子どもは繁殖せず、ひたすら母親(女王)の繁殖を手伝うようになる。


 この段階までくると、世代を重ねて多世代化するので、大きなコロニーを構築することができる。こうして、映画の中に出てくるような見事な社会が生み出されるのである。

▲映画の感想の書かれたホワイトボードに、社会性昆虫が社会を持つようになってゆくプロセスを書きながらレクチャーする佐藤先生。

 ただ、そこには大きな疑問が残る。働きアリ(バチ)や兵隊アリ(バチ)などの「不妊のワーカー」のように「自らは繁殖せず、母親(女王)の繁殖を手伝う」というのは〈一生涯に残せる子孫の数を増やす方向に進化する〉というダーウィンの法則に反するのではないだろうか。

 「不妊のワーカーがなぜ進化したのかは、自然選択では説明が難しく、ダーウィンのジレンマでもありました。ただ、不妊のワーカーが繁殖を助けているのは全くの他人ではなく、自分の母親であるという点で何かちがうのかもしれない、ということには彼も気づいていました。これをダーウィンのジレンマから100年後の1964年に発表した論文で解明したのが、イギリスのハミルトン教授(W.D.Hamilton)です」

 ハミルトンは、進化に関わる条件は「自分の子どもをどれだけ残せるか」ではなく「自分の遺伝子(の一部)をどれだけ残せるか」であることに気づいた。言い換えれば、自分で子孫を1個体残すより、母親の繁殖を手伝って自分の兄弟姉妹を10個体残してもらった方が、より多く自分の遺伝子(の1部)を残せるわけである。

 以上のように「さまざまに役割分担する不妊のワーカーたちが女王の繁殖を助ける」という社会構造がダーウィンの進化論にのっとった自然選択の特殊な形態、すなわち「血縁選択」の結果として築き上げられたことはわかった。しかし、それにしても、自然選択による本能行動の蓄積というには、ハチやアリやシロアリたちの持つ社会性はあまりに高度過ぎるように感じられる。
 「でも、やっぱり思考能力を持っていないと、ここまで社会を高度に進化させられないのでは?」と尋ねると、佐藤先生はこう答えた。
 「社会ができてしまえば、あとは、個体レベルではなく、コロニーレベルで自然選択がかかり始めます。コロニーの社会システムは、女王の繁殖、エサの調達、敵からの防御などの効率化を高めるためにあります。ですから、コロニー同士の競争においては、少しでも高度な社会性を持つコロニーが勝ち残る。ダーウィンが個体レベルで考えていた自然選択圧がコロニーレベルでがかかるので『より適応的なコロニーが残り、進化する』となるわけです」

 一度、コロニーが社会性を持つ段階に入ってしまうと、あとは自然選択圧が社会性をどんどん進化させてしまうというわけだ。

自然選択圧を受けたからこそ人間は「類推」する


 サスライアリに襲われる可能性のある地域でコロニーをつくっているオオキノコシロアリの場合、襲われても女王の間を塞がなかったコロニーは生き残れず、たまたま女王の間を塞いだコロニーは生き残り、それが本能の中のプログラムとして残る。だから、女王の間を塞ぐ行動は「真似した」わけでも考えたわけでもなく、ただ本能にプログラムされたものが発動しただけ。女王の回りを兵隊アリがぐるぐる回ったのも、過去にそうしたコロニーは生き残り、そうしなかったコロニーが生き残れなかった自然選択の結果であり、パニックに陥っているわけではなかった。


 すべては本能のなせる業であり、昆虫の社会は、考えることなく、ただプログラムされた通りの行動で営まれているというのが結論だった。

▲実験室でアリやシロアリの観察用の顕微鏡を覗き込む佐藤先生。

 身も蓋もない結論になんだか寂しい気分になってしまっていると、佐藤先生が問いかけてきた。

 「ところで、なぜ人間は『昆虫も自分たちと同じように知能があるのでは』と考えてしまうと思いますか?」
 ここに来るまで、自分も確かにそうだった……が、理由はわからなかった。
 「人間側からスタートすると『自分たち人間と同じ社会を持っているんだから賢いんだろう』とか『知能が高いんだろう』と類推してしまう。その『類推する』というのが人間の思考とか脳の特徴です。アリやシロアリの行動を見ても『真似ている』とか『パニックに陥っている』と擬人的に類推してしまう。なぜだと思われますか?」
 いくら考えてもわからなかったので黙っていると、佐藤先生は笑顔でこう答えた。
 「まさにそういう『他人の思考や感情を類推する』とういう能力に自然選択が強くかかった結果、人間の大脳新皮質が増え、知能が発達し、社会性が増したという説があるんです。『社会的脳仮説』あるいは『マキャベリ的知能仮説』と呼ばれています」

 人間にとっては「他人の考えを読んで、騙されず、逆に利用+他人の感情や自分との利害の一致・不一致を推し量り、協力できる相手を見分ける」ということが生き残りの重要な条件となり、進化の過程で「他人(相手)がいま何を考えているのか、どう感じているのか」を推測する能力に強い自然選択圧を受けるようになった。その結果、大脳新皮質が分厚くなったのではないか、人間の豊かな知性や感情は進化の副産物ではないか、という説。

 「もともと人間はそういう能力に淘汰圧を受けてきたので、どうしても考えてしまう。たとえそれが昆虫でも、複雑な組織をつくっているようなシロアリやアリを見ていると、人間と同じように『他のシロアリを真似て塞ぎ出したんじゃないか?』『危険を察知して女王の回りに集まってきたんじゃないか』と考えてしまうんだと思います」
 昆虫にも高い知能や知性があると仮定したくなるのは人間の性(さが)かもしれませんね———そんな佐藤先生の言葉を聞いていると、プログラムで動いているアリたちよりも性でつい類推してしまう我々人間の方が、なんだか物悲しく思えるのだった。

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