源内の科学的業績といえば、やはりこれをはずすわけにはいかない。もちろん、かの有名なエレキテルである。
安永5年(1776年)、源内は破損していたエレキテルを修理して復元することに成功した。
源内のエレキテル 逓信総合博物館所蔵
エレキテルとは、摩擦を利用した静電気の発生装置である。木箱の中のガラス円筒を、箱の外についたハンドルで回転させると、金箔との摩擦によって静電気が発生し、それが蓄電器にたまる。このたまった静電気を銅線によって外部に導いて、放電するという仕組みだった。
当時、西洋ではこの種の装置が数多くつくられ、治療や見世物に用いられていた。
源内が入手したのもそのような用途の装置で、オランダ人が長崎に持参し、日本に残したものに間違いない。しかしそれが、いつ、どのような経緯で、源内の手にはいったのかは実はよくわかっていない。
源内のエレキテル (財)平賀源内先生顕彰会所蔵
通説では、二度目の長崎遊学の折りに、蘭書を通じてエレキテルを知っていた源内が、古道具屋かあるいは長崎通詞から購入したとされている。
しかし、さすがの源内も修理はできなかった。電気の知識に乏しく、静電気の原理を把握することができなかったからである。しかし、これはやむをえない。電気の理解という点では、当時の西洋もまだ手探り状態だったからである。
エレキテルの蓄電器にも使われていたライデン瓶が発明されたのが1746年、フランクリンが凧を使って雷が電気であることを突き止めたのが1752年。これらの情報は、源内も知っていた可能性はある。にしても、その情報や知識はわずかな断片的なものだったはずで、とてもエレキテルの原理把握につながるものではなかっただろう。
仕方なく放置されたまま数年が過ぎた。その間、源内は通詞の助けなども借りながら原理を勉強し、しくみを理解した。こうしてようやく復元が可能になったのである。
源内は修理したエレキテルを、貴人や金持の見世物に供して大人気になった。治療用にも使用したとされている。しかし要はバチッとやって、一瞬、人を驚かせるだけである。やがて飽きられ、源内自身も情熱を失っていった。
結局、エレキテルから江戸の電気学が発展することはなく、近代の電気学につながる研究は、橋本宗吉による電気学書の翻訳・研究まで待たなければならなかった。
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