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機械工学シリーズ

メカモシリーズ:メカモ・クラブ(カニ)

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メカモヒストリー:当時のメカモの開発から復活までの軌跡をご紹介。

日本の自動車技術が産み出した「機械生物ロボット」

 学研の「メカモ」シリーズの原型となった機械生物ロボットを開発したのは、故・富谷龍一氏。彼は、日本の自動車工学の草分けともいわれる人物で、千葉大工学部を卒業後、昭和9年に自動車製造株式会社(後の日産自動車)に入社し、ダットサンなど、数々の名車の設計に関わってきました。後にトヨタ自動車の技術顧問も務めるなど、まさに日本の自動車技術の歴史そのもののような人物でした。
 この富谷氏が、あるとき、車の懸架装置の研究のさなかに浮かんだアイデアを元に、日本のロボット工学の第一人者である東京工業大学の森正弘教授(当時・現名誉教授)と共同で作り上げたロボットがメカモの原型です。

これは、自然の生物に似たアルミ製のロボットでした。いずれも1個のモーターの回転運動を、ギアやクランクを使って複雑な動きに変換して全体を動作させるというものです。これらは機械工学の観点から、「いかに少ないエネルギーで、しかも簡単な構造で、理にかなった動きをさせられるか」ということを追求した結果生まれたものでした。富谷氏によれば、「これらを追求した結果、たまたま動物の動きに似たものになった」ということだそうです。

 当初、これらのロボットは、メカニカル+アニマルの造語で「メカニマル」と名づけられました。昭和43年(1968年)頃の事です。後にこれが学研に持ち込まれて「メカモ」という名前で発売されたのは昭和47年(1972年)のことですから、これを商品化するまでまだ約4年の歳月が必要だったのでした。

「おもちゃ」ではなく「教材」となる商品に

 その後、富谷氏と森先生が、NHK教育テレビに出演された際、このメカニマルを紹介しました。すると、放送直後から、おもちゃメーカーなどから「商品化したい」という問い合わせが殺到したそうです。

 開発者の二人は、当初商品化を全く考えずに開発していました。ところが、問い合わせが殺到したということで、「こういうものが商品として成立するのだ」ということに意を強くされたのだそうです。しかし、開発者としては「単なるおもちゃとして売られるのは納得できない」という気持ちが強かった。  メカニマルは、車の懸架装置(サスペンション)の研究から生まれたものであり、機構としてはまさに「リンク機構」の教材そのものです。どうせ売るのなら、おもちゃではなく、「教材」として売りたいという思いが彼らにありました。

 森先生は、当時学研の「○年の科学」の執筆者でもあり、そんな縁もあって当時の学研の社長の前でデモされることになりました。
 当時の学研のトイ部門(現在は別会社となっています)では、ご存知の学研電子ブロックのように、トイといっても教育的なトイを扱っていたので、森先生のお眼鏡にもかなったのだと思います。
 学研の創業者でもある社長は、メカニマルの動きを見て即座に「これは面白いから商品化しよう」と決断したそうです。ところが、それからが大変でした。

 商品化するためには量産化は不可欠。見たことも無い金属のロボットをどうやって量産するか。ここで白羽の矢が立ったのが、元学研社員の石山氏でした。

 石山氏は、大学で機械工学を学んだ後、機械設計の会社やおもちゃメーカーを経て、当時学研に入社したばかりでした。石山氏によると、「機械工学をやってたんだから、『お前やれ』という感じで仕事が突然降ってきた」のだそうです。

 機械設計やおもちゃの設計の経験はすでに豊富な石山氏でしたが、富谷氏手作りの金属製のロボットを始めて見たときは面食らったそうです。まさに見たことも無いもので、どうやって設計していけばいいか見当もつかない…、そこで、石山氏は、社命により当時相模原の富谷氏の研究所に研究生として入門して、このロボットの設計を一から学ぶことになったのです。

学研「メカモ」の誕生

 突然メカモの開発担当を命じられた石山氏。彼は相模原の富谷氏の研究所に入所し、研究所の近くにアパートを借りて毎日研究所に通い、朝から晩まで開発に没頭したそうです。このアパート代は学研が負担しましたが、まだコンビニも無い時代ですから、毎日の生活にはかなり不自由したそうです。

 会社のお金でアパートまで借りてもらって仕事として開発するわけですから、何が何でも商品化しないといけません。そのプレッシャーは相当だったそうです。特に週に1度くらいは学研の上司が 進行のチェックにやってくるのが、一番憂鬱だったと聞いたことがあります。

 富谷研究所では、まずリンク機構の勉強をしつつ、富谷氏が手作りで作ったメカニマルを参考に商品化に向けた図面を書き始めました。図面を書いては富谷氏の指導を受け、書き直す。ひたすらこれの繰り返しを2年間ほど続けたそうです。

 図面を起こすといっても、富谷氏が作ったものを正確に図面に起こすわけではありません。量産して商品として発売するわけですから、量産化を念頭において、組立てができないような部分は構造を変えていきます。元のメカニマルは富谷氏の手作りでしたが、石山氏が量産化を念頭において設計した段階で、「学研のメカモ」の誕生となりました。

 当初メカモは小学校高学年向けの商品として開発されました。ところが、発売してみると、中学生から高校生あたりが中心ユーザーでした。子供向けとしては割と組み立てが難しかったため、小学生にはうまく組み立てられないケースが多く、「動かない」という問い合わせが会社にもたくさん寄せられたのです。また、町の模型屋さんに持ち込まれて修理を依頼されるというケースも多く、中にはメカモの修理に習熟した模型屋さんもいらっしゃったそうです。

 そこで、少し組立てを簡単にしたミニメカモというシリーズが企画されました。昭和48年に作られた図面がこのシリーズで、部品点数を大幅に減らして価格も安くしたものでした。

 このようにして、昭和47年(1972年)7月に第一弾が発売されたメカモシリーズは大ヒットし、多い月は月間3万個を出荷したのでした。ところが、好調だったメカモシリーズに思わぬ試練が待ち受けていました。それは日本全体を襲ったオイルショックだったのです。

第一次オイルショックの試練

 昭和48年(1973年)秋に第一次オイルショックが起きました。ある日突然スーパーからトイレットペーパーが消えるという騒ぎをおぼえていらっしゃる方も多いと思います。

 オイルショックは、原材料の高騰という事態をもたらし、当時の日本経済全体に非常に深刻な打撃を与えました。実はメカモもこれに非常に大きな影響を受けたのです。
 オイルショックによる原材料の高騰に絶えられず、メカモはあるとき値上げを余儀なくされました。たとえば1800円だったインチウァームが3500円になるほどの大幅値上げだったため、これがメカモの販売面では相当に大きな影響を与えてしまいました。

 一方、メカモそのものは各方面から高い評価を受けました。特に大学の工学部で教材に使われることが多く、富谷氏が講師をしていた東京工業大学と早稲田大学では、設計者の石山氏が助手を務めて講義が行われたそうです。

 また、昭和50年(1975年)に行われた沖縄海洋博では、芙蓉館においてメカモの展示が行われました。(ここではメカニマルという名前で呼ばれていました)芙蓉館のテーマは「海のバイオニクス」というもので、その中心の展示が「機械水族館」というものでした。このときは、海の生物をテーマにしたメカモが多数展示されました。この展示そのものにも学研は大きく関わり、また石山氏も八面六臂の活躍をしたそうです。

転換期となった70年代後半

 各方面から評価いただいたメカモでしたが、70年代の後半に入って、だんだん厳しくなってきた環境規制によってメッキのコストもアップしていき、更なるコスト高と戦わなければいけなくなりました。さらに、「うまく作れない」という問い合わせもだんだん多くなってきたそうです。

 実は、学研の「○年の科学」が付録につけていたラジオで、コイルを自分で巻く方式のものから、あらかじめ巻いてある、出来合いのものに変更したのが、ちょうど70年代の終わり頃でした。編集部では、そのたびにきちんとコイルを巻いたものを作って送ってあげていたのですが、あまりにも同じようなクレームが多いため、やむを得ずコイルをあらかじめ巻いたものを付録とするようになっていったのです。

 ちょうどこの時代から以降、子供たちの興味が「自分の手で作るもの」からどんどん別のものに移っていき、自分で工夫して何かを作ったりするという環境が少なくなっていったように思います。70年代後半というのは、ちょうどその転換点に当たる時代だったのではないでしょうか。

 メカモも、このような時代の流れに揉まれながら、どうしても製造を継続することができず、結果80年代の初めに惜しまれながら製造を中止しました。

時を経て、復刻が可能に

 当時、石山氏らは、何とか製造を継続できないかと必死にコストダウンに取り組みました。金型を香港や中国に持ち込んで製造することも試したそうですが、当時の中国はまだ今ほどの技術がなく、商品として販売するレベルにできなかったため断念したそうです。
 今、メカモを再び発売できるのは、時代の変化によるところも大きいと思います。直接的な要因としては、中国の技術の進歩に負う部分が多いというのは皮肉かもしれません。ただ、そういう形であっても、かつて惜しまれながら時代の波間に消えた商品を、今もう一度世に問うことができるというのは、意義あることなのではないかと思います。このメカモシリーズも、これからは「大人の科学」の一員として長い間売っていきたいと思っておりますので、温かく見守っていただければ幸いです。

(文中敬称略)

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