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江戸の科学者列伝

第1回 西欧近代科学とはじめて向き合った 孤高のニュートン学者 志筑忠雄(1)

 引力、重力、遠心力、動力、速力、真空……。物理学や宇宙を説明するのに使われるおなじみの科学用語である。こうした用語がなければ現代の物理学的世界像や宇宙像を理解することはほとんど不可能になる。

 それほど重要な用語なのに、江戸時代中期まで日本語の語彙にはなかった。いずれもその時代に発明された新語だったのである。

 もちろん、それらの概念をあらわす用語は西洋にはあった。コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンなどによる新しい自然観や宇宙観の樹立と、そうした用語の確立は並行して行われたからである。

 つまり江戸時代に発明された科学用語とは、西洋の用語の翻訳だった。では発明ではなく単に翻訳といえばよいのではないか。もっともだが、当時の日本には、西欧近代の科学観はまだ紹介されておらず、原語に相当する概念自体が存在しなかった。その中での翻訳作業は、まさしく言葉の発明とよんでよいものだった。

 では、いったいその科学用語の発明者とは誰か。引力や重力という用語を発明し、最初に使った日本人とは誰だったのか。それは長崎通詞だった志筑忠雄(中野柳圃)である。

 通詞とは現代の通訳のことである。当時、外国との唯一の窓口だった長崎で代々通訳を家業としていたので、長崎通詞と呼ばれた。また、彼らが通訳した言語がオランダ語だったから、オランダ通詞とも呼ばれた。

 しかし彼らは単なる通訳ではなかった。オランダ語を通して海外の文化や情報を受け入れ、あるいは日本の事情を外国に伝える洋学者であり、科学者であり、文化人であり、外交官でもあった。

 忠雄はその中でも傑出した通詞であり、科学者だった。『長崎通詞ものがたり』という名著をあらわした杉本つとむ氏も、江戸時代300年を通じて最高の通詞をひとり選ぶなら、ためらうことなく志筑忠雄を挙げると述べている。

 忠雄の業績はオランダ語学から博物学、自然科学まで幅広いが、科学に的を絞れば、西洋の科学思想に日本人として最初に取り組み、それを高いレベルで理解しえたところにある。

 当時の日本には西洋の自然観・世界観を受け入れる素地がまだなかった。伝統的な自然観は中国の自然哲学である「気の思想」が主体で、ニュートンに代表される粒子的、力学的な自然観の理解には非常な困難がともなった。だが忠雄は決してひるまず、訳業を通じてその理解に努め、ついには独自の宇宙論を提出するまでに至った。

 時代の限界による誤解もあるが、ニュートンの科学思想に最初に取り組み、咀嚼し、紹介したという点で、日本最初の科学者という評も決して大げさではない。


資料/『出島阿蘭陀屋舗景図』長崎歴史文化博物館

関連用語

ニコラス・コペルニクス
ポーランドの天文学者(1473-1543)。クラフク大学で数年過ごした後にイタリアに留学。古代ギリシャの文献に接して、地動説のヒントを得る。後に、故郷で教会領の管理を行うかたわら、天文学研究に没頭し、地動説を完成させる。著書『天球の回転について』
ガリレオ・ガリレイ
イタリアの天文学者(1564-1642)。ピサに生まれ、ピサ大学で医学を修めた。数学や物理学に興味を持ち、在学中に寺院のシャンデリヤの揺れより、振り子の等時性を発見。1609年、天体望遠鏡を製作し、太陽の黒点、月表面の凹凸、木星の衛星などを発見する。自然科学の父と言われる。著書『天文学対話』
ヨハネス・ケプラー
ドイツの天文学者(1571-1630)。グラーツ大学教授。ティコ・ブラーエの助手となり、師の残した火星に関する観測記録より、火星が太陽を中心に楕円運動をしていることを確かめ、惑星運行に関する「ケプラーの法則」を発見。
アイザック・ニュートン
イギリスの数学者・物理学者・天文学者(1642-1727)。光学、微積分、反射望遠鏡の発明など業績は幅広いが、最大のものは万有引力を発見し、ニュートン力学を確立したこと。天体の力学と地上の力学を統一的に把握するニュートン力学は、その後の天文学や物理学などあらゆる科学の基礎となる。

『新世紀ビジュアル大辞典』学習研究社刊より

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