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『求力法論』は、カイルがニュートン的化学の建設をめざしたものだった。その発想のもとは光は微粒子からなるというニュートンの『光学』にあった。化学、電磁気、生体などの諸現象を、粒子間に働く力で統一的に説明しようとするその試みは野心的なものだった。だが、なにぶん時代が早すぎた。

 当時は原子や微粒子に基づく化学はまだ仮説の段階にあった。その実現は19世紀にドールトンが粒子ごとの質的な差異に基づいて、原子論的化学を確立するまで待たなければならなかった。

 忠雄による『求力法論』の翻訳は最初から困難に直面した。

 忠雄の語学力にはなんの問題もなかった。

 彼の語学力は、長崎通詞の中でも傑出したものだった。その実力はオランダ語の文法を徹底的に研究し、品詞の概念や動詞の時制などを明らかにし、文法用語を確立したことからもわかる。

 その忠雄をして翻訳に困難をきたした理由は、カイルの著作がもともと難解だったこともあった。だがそれ以上に大きかったのが、思想的な伝統や背景の差だった。

 前述のように、『求力法論』の基礎となったニュートンの『光学』には、固体である粒子と、その間に働く力の概念が基礎にあった。しかし当時の日本にはそもそも粒子的な発想も、力学的な概念もなかった。西洋近代科学の根幹にある機械論的な自然観も見あたらなかった。つまりニュートンの科学思想に相当する考えがまったく存在しなかったのである。


関連用語

ジョン・ドールトン
イギリスの化学者(1766-1844)。終生手製の器械で気象観測を行った。30歳頃から化学の研究を始め、1801年混合気体に関する分圧の法則を発見。1803年頃、原子説によって化学変化の説明を試み、倍数比例の法則を予想。これに基づいて原子量を計算し、近代的原子論による化学体系の基礎を築いた。

『新世紀ビジュアル大辞典』学習研究社刊より

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