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Gakken PRESENTS 大人の科学:製品版

発明発見シリーズ

ベルリナー式円盤蓄音機

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19世紀蓄音機戦争の勝者は誰!?

 19世紀のアメリカの発明家エミール・ベルリナーは、ベルの会社で技師として働く傍ら蓄音機開発において生涯にわたってエジソンと競った。この分野におけるエジソンの最大のライバルだ。 1847年生まれのエジソンと1851年生まれのベルリナー。同じアメリカの発明家として同時代を生きた2人はベルの電話機発明に端を発し、熾烈な開発競争をくり返した。
  エミール・ベルリナーは、1851年、ドイツのハノーバーで生まれた。父は商人で学者、母はアマチュアの音楽家だった。かの地で学生時代をすごし、1870年、両親とともにアメリカに移住した。

 その後いくつかの会社を経て、電気技術者としての腕を磨いた。やがて、評判になっていたベルの電話機に魅せられ、その改良案で送話器に関する特許を取得した。
 そのころ、ベルは、電話機の発明を確定させるべく、最終的な研究段階に入っていた。実は、発明の一部がエジソンの特許に触れる可能性があったので、それを避ける方策を探していたのだ。
 やがて、ベルとその開発チームのメンバーは、ベルリナーの改良案の採用が必要との判断のもと、特許とともにベルリナー自身を技師として雇い入れることにした。
 1876年ベルリナーの改良案を加え、ベルはエジソンとの電話機における特許争いに勝利し、最終的な特許を確定した。

 これに対し、エジソンは別分野での反撃を試みた。蓄音機だ。
 1877年には最初の錫箔円筒式蓄音機「フォノグラフ」を完成させ、マスコミに発表している。蓄音機は「話す機械」として喧伝され、大いに評判を呼んだ。だが最初のこの蓄音機は、評判のわりに性能が低く、実用化にはほど遠かった。
 その後、ベルリナーをはじめとするベルの開発チームのメンバーは、蓄音機の実用化に向け、始動した。彼らは録音と再生の針を別にしたり、保存の効かない錫箔をワックス塗りに変えたり、再生にゴム管を使い音声が明瞭に聞こえるようにしたり、といった改良を加え、完全に実用に徹した「グラフォフォン」を誕生させた。用途の定まらないフォノグラフに対し、グラフォフォンは実用品として生まれ変わった。

▲エミール・ベルリナー

▲トーマス・エジソン

▲ベルリナーの蓄音機

▲エジソンの蓄音機

 「グラフォフォン」完成の前年、1884年、エミール・ベルリナーはベル研を去り、独自の蓄音機開発の道に進む。
 エジソンの蓄音機が、音の振動を針の圧力の強弱として、蝋管を利用したシリンダー(円筒)に刻む縦振動の記録再生方式だったのに対し、ベルリナーは別の方式を取り入れた。それが、針の振動を90度回転させて、音の振動を横振動に変換してディスク(円盤)に刻む方法だった。
 さらに原盤から大量、安価に再生専用の円盤を作る方式も考えた。
 亜鉛円盤に蝋を塗り、蓄音機で音を刻んだ後に酸を注ぐと、その部分の亜鉛が酸で腐食し、音の溝が亜鉛円盤に刻まれる。この亜鉛円盤からネガを作ると、これが原盤となる。原盤を適当な材料に押しつければ、元の亜鉛円盤の複製を何枚も作れる、というわけだ。

 このプレスされたレコード盤をかける再生専用蓄音機は、30年近くエジソンの円筒式蓄音機とこの分野における覇を争ったが、最終的にはベルリナーの方式が勝利をおさめた。

 ベルリナーが作ったグラモフォン社はいくつかの変遷を経て、現在、世界的な音楽企業・ビクターになっている。

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