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大人の科学実験村 第7回 手作りペンシルロケットで遠い空をめざせ!

今回参加の村民

編集部員3名、読者2名が参加。今回は特別に、お二人の先生にご指導いただいた。

伊藤 秀明先生

東京大学に勤める薬品のスペシャリスト。(火薬学会会員)ロケット作りをご指導いただいた。

小林 義行先生

多くの科学工作を発明する高校教師。実験をサポートしていただいた。

前嶋 兼さん

昆虫、特にトンボの幼虫が好きなシステム工学を学ぶ大学生。

小林 裕子さん

ビーズ、お菓子⋯と作ることが大好きな主婦。小林先生の奥様。


協力/茨城県立土浦工業高等学校 文/かなざわいっせい 写真/加藤啓介 イラスト/加藤 徹

 ついにこのときが来た! 念願だったロケットの打ち上げに挑戦することになったのだ。しかも、単なる打ち上げではない。本物のロケットと同じ薬剤を使って、燃料も手作りしようというのだ。さて、開村以来もっとも危険な「実験村ロケット計画」、はたして全員無事に生還できるのか?

専門の先生の力を借りて、
念願だった計画が動き出した。

 平成17年5月22日午前10時半、茨城県土浦工業高校理化学教室において、湯本村長は第7回実験村開村宣言を発した。

 「本年は学研創業60周年、糸川英夫教授のペンシルロケット試射50周年。その記念すべき年に、我々の念願だった自作ペンシルロケットを空高く打ち上げる」

 俺たちはロケットボーイズだ! と湯本はニンマリ微笑んだが、実験参加者7名の合計年齢はおおむね280歳、実際にはロケットオールドボーイズだった⋯。「大人の科学」だから仕方がないということにして、早速製作開始である。気持ちだけはボーイズ&ガールだ。

 伊藤先生の設計図を基に、まずは推進剤の製作から始めた。過塩素酸アンモニウム(酸化剤・酸素供給)、アルミニウム粉末(助剤・急激に2000度まで温度を上げる)、二酸化マンガン(触媒)を指定された分量量り取り、乳鉢(磁器製)に入れて、乳棒ですりつぶしながら混ぜ合わせる。配合分量を間違えると、後にトンデモナイことになる危険性大なので、慎重に計量していたのだが、湯本村長がウシャッ! とクシャミをぶっ放した。実験室に一瞬、緊張が走る。

 伊藤先生、土浦工業高校理科教師・小林先生の二人以外はズブの素人のため、他の者は「トンデモナイ」ことの実態がまったく予測できないのである。そのせいでちょっとしたことに過敏に反応してしまうのであった。

 湯本は唇をかみ締め直す。が、しかし。その数分後だった。金子助役の乳鉢内でパシーン! と乾いた破裂音が響いたのである。

 これには全員が本当に驚いた。主任の西脇は伊藤先生の背後に素早く身を隠したほどである。先生を守らなければならない立場なのに先生を楯にしたのだ。どうにもならん主任であった。

▲ロケットと 糸川教授

50年前、ペンシルロケットから日本の宇宙開発が始まった

終戦後、日本の軍備はGHQによって解体され、ミサイルはもちろんロケット・飛行機の研究も禁止された。1952年、サンフランシスコ講和条約が成立、日本の独立にともない研究が再開。多くの研究者が、当時世界の主流だったジェット機の開発へ流れるなか、ひとりロケット開発に乗り出したのが、東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授だった。1955年、糸川教授らが開発した「ペンシルロケット」が、東京・国分寺で水平発射された。全長23cm、重さ200gほどの小さなロケットによる実験だったが、その成功は日本の宇宙開発の大きな一歩となった。

▲ペンシルロケットの水平発射

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