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Gakken PRESENTS 大人の科学:製品版

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稲妻を操る男、グリエルモ=マルコーニ

ヘルツの実験

マルコーニが生まれたのは1874年。当時電気を使用する通信の発明に明け暮れていた人々は1876年、ベルの電話機の発明によってひとつの頂点に達していた。結果いたる所に電線がはりめぐらされた。こうして有線による通信は一般化されたものの、無線通信の分野は研究の端緒についたばかりだった。

 電話機発明の12年後、画期的な実験が行われた。ドイツの物理学者ハインリッヒ=ヘルツが(1857- 94)が独自の電波発生装置から受信機へ電波を飛ばして見せたのである。わずかな距離だったとはいえ、電波が空中を飛ぶという事実は研究者に衝撃を与えた。彼の研究を受け継いだ人々は25m、100mとその距離をのばしていった。

無線通信にかけた夢

1894年、20才のマルコーニは裕福な家庭で科学好きの青年に育っていた。その年の夏、父親のもつ別荘に避暑に行く。退屈しのぎに1冊の科学雑誌をとり、何気なくページを開いた。開いたページは、その年37歳の若さでなくなったヘルツの実験に関する記事。読み進むうち、頭の中に稲妻が走った。ひとつの着想が浮かび、とめどなくふくらんでいく。 「ヘルツの電波を利用したら、無線通信が可能なのではないだろうか?」

 受けた衝撃のわりに、発想は単純だった。後年、マルコーニ自身もこう語っている。「この着想の最大の欠点は、あまりにも基本的で単純だったため、その実用化を考えた研究者がいないとは信じ難かった点でした」そう思いながらもマルコーニは研究せずにはいられなかった。まずは誘導コイルを使って火花を発生させる装置を作る。この段階は難なくクリアした。  問題は受信機側。電波をキャッチするコヒーラの方だった。

 誘導コイルからはすさまじい火花が出るのにコヒーラには反応がない。1か月におよぶ悪戦苦闘の末、偶然正しい装置の組み合わせを発見した。

 これ以上の研究には費用もかかる。そこで両親にその成果を見せた。自宅の3階で電波を発生させ、1階にあるベルをならして見せたのである。他にも、モールス信号を電波にのせる実験などを見せ、首尾よく資産家の父親から融資を引き出した。

 1895 年には装置の改良も進み、1700m離れた丘の上から無線通信を行うことに成功した。さらに距離をのばし、今度は相手の見えない丘越しの通信にチャレンジ。このときは成功の合図に旗の代わりに銃を使った。丘に響きわたった銃声は、マルコーニによる無線通信の本格的な幕開けを告げる祝砲となったのである。

▲マルコーニの電波発信機

▲マルコーニの受信機

▲セント・ジョンズに組み立てられた凧の受信機。

▲22歳時のマルコーニ。自作の機械を前に。

大西洋を渡る電波

6年後の1901年12月、マルコーニは北アメリカはニューファンドランドの セント・ジョンズという港町にいた。大西洋を隔てて3200kmはなれたイギリスと北アメリカを、電波で結ぶ試みに挑戦するためである。

 その数年前、マルコーニは故郷イタリアを離れ、イギリスで無線電信信号会社を設立。研究もいよいよ完成期をむかえていた。

 すでに発信機は完成していた。イギリスはコーンウォールのポルジューにあるそれは、強力な火花を発生させるため、高さ45mの支柱に扇形に導線を配した巨大なものだった。

 セント・ジョンズに現れたマルコーニはさっそく受信機の組み立てにかかった。係留用の気球と大型の凧。天候の厳しいニューファンドランドでは受信のための巨大な支柱を立てることは不可能だったからだ。

 大型の凧は気球につられて上昇し、122mの高さまであがる。凧からは183mの導線がアンテナがわりにつりさげられていた。強風吹きすさぶ中、つるされた導線は右に左に激しく揺れている。

 12日正午。マルコーニは当時の電話用受話器を耳に押し当てた。無線通信で受信した信号を紙に記録する装置をすでに開発していたが、電波が微弱である可能性を考慮し、自らの耳で確かめる方法をとったのである。

 送信側へはあらかじめセント・ジョンズの時間で午前11時半からモールス信号の「S」にあたる信号を送り続けるよう指示してある。

 マルコーニは空いた片手で送信側の波長を必死に探っていた。だが、風の音がひどく、なかなか確認できない。
「だめか…」
 一度、受話器をはずし、スコッチをたらした熱いココアで一服すると、再び受話器を取り、全神経を耳に集中した。
「ト」
かすかに受話器から音が聞こえた。息を殺して耳をすます。
「ト・ト・ト」
3度続いた。信号だ。モールス符号の3連短点に対応する音がくり返し聞こえる。
 「ト・ト・ト(S、S、S)…」
翌日、この模様は全世界に伝えられた。
 「稲妻をあやつる男、マルコーニ、大西洋横断通信に成功! 新紀元を開く!」
 時に1901年12月12日12時30分。ポルジューから届いたそれは、華麗なる20世紀を象徴する電波となった。  ヘルツの実験からわずか13年。無線通信時代の扉を開いたのは、夢を追い続けた27歳の青年実業家だった。

 世界初の無線通信を、商業レベルで実用化した男、マルコーニ。彼が使った電波はあなたの作った電波カーへも飛んでいく。送信器を押しながら、その偉業に思いを馳せてみてはいかがだろうか?

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