大西洋を渡る電波
6年後の1901年12月、マルコーニは北アメリカはニューファンドランドの セント・ジョンズという港町にいた。大西洋を隔てて3200kmはなれたイギリスと北アメリカを、電波で結ぶ試みに挑戦するためである。
その数年前、マルコーニは故郷イタリアを離れ、イギリスで無線電信信号会社を設立。研究もいよいよ完成期をむかえていた。
すでに発信機は完成していた。イギリスはコーンウォールのポルジューにあるそれは、強力な火花を発生させるため、高さ45mの支柱に扇形に導線を配した巨大なものだった。
セント・ジョンズに現れたマルコーニはさっそく受信機の組み立てにかかった。係留用の気球と大型の凧。天候の厳しいニューファンドランドでは受信のための巨大な支柱を立てることは不可能だったからだ。
大型の凧は気球につられて上昇し、122mの高さまであがる。凧からは183mの導線がアンテナがわりにつりさげられていた。強風吹きすさぶ中、つるされた導線は右に左に激しく揺れている。
12日正午。マルコーニは当時の電話用受話器を耳に押し当てた。無線通信で受信した信号を紙に記録する装置をすでに開発していたが、電波が微弱である可能性を考慮し、自らの耳で確かめる方法をとったのである。
送信側へはあらかじめセント・ジョンズの時間で午前11時半からモールス信号の「S」にあたる信号を送り続けるよう指示してある。
マルコーニは空いた片手で送信側の波長を必死に探っていた。だが、風の音がひどく、なかなか確認できない。
「だめか…」
一度、受話器をはずし、スコッチをたらした熱いココアで一服すると、再び受話器を取り、全神経を耳に集中した。
「ト」
かすかに受話器から音が聞こえた。息を殺して耳をすます。
「ト・ト・ト」
3度続いた。信号だ。モールス符号の3連短点に対応する音がくり返し聞こえる。
「ト・ト・ト(S、S、S)…」
翌日、この模様は全世界に伝えられた。
「稲妻をあやつる男、マルコーニ、大西洋横断通信に成功! 新紀元を開く!」
時に1901年12月12日12時30分。ポルジューから届いたそれは、華麗なる20世紀を象徴する電波となった。 ヘルツの実験からわずか13年。無線通信時代の扉を開いたのは、夢を追い続けた27歳の青年実業家だった。
世界初の無線通信を、商業レベルで実用化した男、マルコーニ。彼が使った電波はあなたの作った電波カーへも飛んでいく。送信器を押しながら、その偉業に思いを馳せてみてはいかがだろうか? |