皆が富士の前に立った。シャッターを切る。これだけ暗くなると人物の姿を捕らえるのにかなりの露光時間が必要だった。が、空高くにそびえる富士にはまだ西日が強く射していて、光量過剰の状況である。しかしコンテナの暗室の中では小林撮影監督と前田製作総指揮が、光が当たりすぎないようにするため、間接的に富士の像の前に帽子で影を作るという高等テクニックを駆使していた。光を遮る按配が非常に難しい。
朝霧高原が真っ暗になるまで何分、何十分たったのだろうか。陽の傾きに平行して、秒速で富士の色が変わった。まさにこれが、葛飾北斎の「富獄百景」である。彼が200年前に見た富士を、我々はトラック・ピンホールカメラで捕らえることができるのか……。できないわけがないと、助役金子が呟いたときに闇が来た。
出来上がったポジに、富士が微笑んでいた。村民一同、笑みがこぼれる。小学生村民の啓朗クンが飛び上がった。村長湯本は、満足げに闇に消えた富士を見つめていた。 |