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生命情報科学の源流

第2回 1922年:日本とヨーロッパの距離

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関連書籍・映画のご紹介

本文に関わる事柄や時代を知るために役に立つ書籍や映画を紹介しています。

※アインシュタイン・ショック (1ページ)

 『アインシュタイン・ショック』(岩波書店)の中で、金子務氏はアインシュタインという西洋史の主人公を大正の日本社会に登場させる事により、彼を鏡として当時の日本人の学問や思想、社会情勢を描写するのに成功している。

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※江戸・東京の中のドイツ (2ページ)

 ヨーゼフ・クライナー著、安藤勉訳『江戸・東京の中のドイツ』(講談社学術文庫)は、江戸から明治時代にかけての、日本とドイツ文化圏の深い文化交流を描いている。表紙の写真は、1893年(明治26年)箱根の富士屋ホテルでくつろぐオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント(中央)。

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※「科学者の楽園」をつくった男 (2ページ)

 理化学研究所は、基礎研究だけではなくその成果の実業化までをめざして設立された。発明品からの収入や特許料を研究費に還元する独自の運営スタイルは、現在の官営の「理化学研究所」とは全く異なる。こうして、大正の日本で実験を伴う本格的な研究が可能な唯一の場所になった。『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所』(宮田親平著/日経ビジネス人文庫)は、当時の様子をよく伝えている。

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※人民は弱し。官史は強し (4ページ)

 第一次大戦後のインフレにより、ドイツマルクの価値は急激に下がった。明治以来、日本の科学技術の範となってきたドイツの窮状を知った“製薬王”星一は、ドイツへの寄付をつのった。しかし結局は、自らの財産を使って、そして政争にまきこまれて事業が傾いた後には借金をしてまで、基金を捻出し続けた。『人民は弱し。官史は強し』(新潮文庫)には、息子の星新一から見た父の人生が描かれている。

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※帝都物語 (5ページ)

 アインシュタインが離日して一年もたたない1923年(大正12年)9月、関東大震災により東京は壊滅した。もし地震の予知が不可能なら、予知の研究に大金を投じるよりも、建物を補強して耐震対策にとりくむ方がよい。この映画にも登場する寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は、予知不可能論に組みした警告だった。かつて明治政府は外務卿・井上馨のもとに、ウィーンの環状道路(リングシュトラーセ)を見本として“帝都”東京の西欧化を推進しようとした。しかし鹿鳴館に代表される井上達の外交は失敗に終わる。

 その結果、帝都構想には隠されていた陰陽道の地相学が浮上する。それによれば、官庁街は皇居の南側に集中せねばならない。問題は、神田大明神にまつられた坂東の新皇、平将門が“帝都”を守ってくれるのか否かだった。映画の中で関東大震災をひきおこし帝都を壊滅させた怪人カトーは平将門の分身とされる。実際、将門の首が埋められたとされる塚(大手町近辺)をめぐって、まるで第二次大戦の前触れのように、奇怪な事件が昭和にかけて続く。

※ DVDはすでに生産中止だが、原作は『帝都物語』(荒俣宏著/角川文庫)で読める。

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※日本天才列伝 科学立国ニッポンの立役者 (6ページ)

 『日本天才列伝 科学立国ニッポンの立役者』(「歴史群像」シリーズ80号・小社刊)。明治から昭和までに活躍した、日本を代表する30人の科学者たちの評伝が掲載されている。表紙に描かれた野口英世(中央)、湯川秀樹(左)、寺田寅彦(右上)、南方熊楠(右下)を始め、本連載に登場する人物も多く取り上げられている。

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書籍関連・映画のご紹介

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