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生命情報科学の源流

第8回 焼け跡の東京:デカルトとの対話

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日比谷留学

 「しかし東大図書館も、熱気という点では、日比谷につくられたCIE(文民関係・情報・教育部)図書館には比べられない。CIE図書館にはアメリカなどから新刊雑誌が毎月送られてきて、科学者や技術者が日参した。当時、“日比谷留学生”という言葉が生まれたくらい」と渡辺。CIE図書館は、日東紅茶ビルに1946年(昭和21年)に設置された。東大輻射線化学研究所の助手になった野田もここで150程もウイルス関係の論文を読んだ。「あそこの本はその後、他の図書館に寄贈されたが落丁がいっぱい。ビリって破って持っていった奴がずいぶんいた」と野田。

 後の1965年(昭和40年)に東大・大型計算機センター長となる高橋秀俊は1949年(昭和24年)にEDSACの報文を日比谷で見た。EDSACは、戦争中ブレッチュリーパークで暗号解読に従事したモーリス・ウィルクスを呼んで英国ケンブリッジ大学が完成した世界初のノイマン型計算機、つまりプログラム可能な、今日的な意味でのコンピュータだった。この計算機が後にタンパク質立体構造の計算に使われる。高橋は「全く面識のない用語だらけで難解を極めたが、“蘭学事始”の杉田玄白の気持ちで判読し、言い表せない感銘を受けた」。Electric Delayed Storage Automatic ComputerはDelayed Storage、つまり遅延管をメモリーに使っていた。遅延管とは、戦争末期にレーダーの表示装置用に開発されたもので、水銀を満たした管内を超音波が伝播する間、管は情報を記憶する。さらに長時間の記憶のためには出力をもう一度入力すればよい。遅延管を知った時、高橋は「遅延管の構造、発想もさることながら、一体、これを何に使うのか、全く想像を超えていた」。

世界初のプログラム内蔵型コンピュータ・EDSACの水銀遅延管と開発者のモーリス・ウィルクス。写真の装置には、長さ約1.5mの水銀管が16本使われており、EDSACはそれを2台備えていた。記憶容量が大幅に増えた結果、プログラムの内蔵が可能となった。

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