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江戸の科学者列伝 西欧近代科学とはじめて向き合った 孤高のニュートン学者 志筑忠雄

独自の思索の深まり(2)

 異質な思想に東洋思想をあてはめ、安易に同化するのは真の理解とはいえない。外国文化との衝突による異化作用こそ大事なのではないか。そう批判するのはたやすい。だが、重要なのは忠雄がニュートン思想を体系的に受容しようとしたことである。

 蘭学を学んだ日本人はほとんど例外なく成果の吸収にのみ熱心で、学問の体系的理解まで考えが及ばなかった。しかし忠雄の思索的な性格はそれでは満足できなかった。彼はニュートン学の形而上学的基礎まで問わずにいられなかったのである。

 原理的につきつめると、ニュートン思想にも形而上学が欠けていた。彼の科学思想は神学を脱したことで、普遍性を獲得したわけだから当然だが、忠雄にはこの点が不満だったのである。

 彼が知りたかったのは、引力が引力たるゆえん、重力が重力たるゆえんだった。そして易を原理とする東洋的形而上学にそれを求めたのである。こうした思索は、強引なこじつけによる誤解や錯誤も生んだが、そこから重要な成果も生まれた。そのひとつが独創的な星雲説である。

 『暦象新書』の付録である『混沌分判図説』で、忠雄はカント・ラプラス説と類似する太陽系の起源説を独自に唱えた。これは日本人の科学的「宇宙論」として最初のものだとされているが、それから約一世紀後に狩野亨吉が『志筑忠雄の星気説』で指摘するまで誰にも理解されなかった。


写真/早稲田大学図書館

 

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カント
ドイツの哲学者(1724-1804)。大陸の合理論とイギリスの経験論とを総合し、その上にドイツの観念論の礎を築いた。代表的な著作は「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」。
ラプラス
フランスの数学者、天文学者(1749-1827)。自著「天体力学」で諸惑星の運動や太陽系の安定性を論じ、星雲説を主張して現代宇宙進化論の先駆者となった。
星雲説
1755年にカントが提唱し、1766年にラプラスが補足した太陽系起源説。「宇宙の塵が集まり星雲になり、更にそれが集まって星が誕生する」という説。

『新世紀ビジュアル大辞典』学習研究社刊より

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