生命情報科学の夜明け
2000年3月14日、米クリントン大統領と英ブレア首相は「決定されつつあるヒトゲノムDNA配列を全ての研究者に公開するように」と要請する共同声明を発表した。その一週間前、決定と公開を推進してきた英国の研究機関サンガー・センターと情報閲覧の有料化をもくろむ米国企業セレラ・ジェノミクス社の協議が決裂したとのニュースが世界をめぐっていた。こうして、生命情報科学(ゲノムDNA配列から出発する新しい生命科学)の世紀として21世紀は幕を明けた。
これに先立ち、クリントンは、物理学を中心とした前半から生命科学を中心とする後半へと20世紀が転換したと総括し、レーガン政権の「物理より」の政策を転換、生命科学へと重点をシフトしていた。二期を分ける象徴的な出来事が1953年に起こっている。まだ戦争の影が色濃く残る英国のケンブリッジ。ヴィクトリア朝様式のキャベンディッシュ研究所の一室で、DNA二重らせんモデルが完成したのである。このモデルこそは、それまで概念にすぎなかった「遺伝子」の本体がDNAという分子である事、DNAを構成する4つの塩基(A、T、G、C)を並べて遺伝情報が書かれている事を明らかにした。これを達成した二人の科学者は、米国人生物学者ジェームズ・ワトソンと英国人物理学者フランシス・クリック。しかもキャベンディッシュは、かつてアーネスト・ラザフォードが、ニールズ・ボーアが、そして仁科芳雄が核物理学を発展させた場所。分子生物学は物理学の非正統的な継承者、つまり“私生児”だったのである。
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