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生命情報科学の源流

第1回 世界を変えた第二次世界大戦

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文/産業技術総合研究所DNA情報科学研究グループ長 鈴木 理   構成協力/佐保 圭

 19世紀末から20世紀前半にかけて、ヨーロッパで行われた学者間の交流。ヨーロッパ文明とも表現できるそれが、やがて生命情報科学という新しい学問を生み出していく。そこには物理学、生物学、化学、数学、哲学といった境界を意識させない文化と風土があった。

↑1927年にブリュッセルで開かれた第5回ソルヴェイ会議の参加者たち。前列、左から5番目にアインシュタイン、中列、左から3人目にブラッグ(父)、右端にボーア、立っている後列、左から6人目にシュレーディンガー、2人おいてハイゼンベルグの姿がある。ちなみに、写真の前列左から3人目の紅一点はキュリー夫人である。

生命情報科学の夜明け

 2000年3月14日、米クリントン大統領と英ブレア首相は「決定されつつあるヒトゲノムDNA配列を全ての研究者に公開するように」と要請する共同声明を発表した。その一週間前、決定と公開を推進してきた英国の研究機関サンガー・センターと情報閲覧の有料化をもくろむ米国企業セレラ・ジェノミクス社の協議が決裂したとのニュースが世界をめぐっていた。こうして、生命情報科学(ゲノムDNA配列から出発する新しい生命科学)の世紀として21世紀は幕を明けた。

 これに先立ち、クリントンは、物理学を中心とした前半から生命科学を中心とする後半へと20世紀が転換したと総括し、レーガン政権の「物理より」の政策を転換、生命科学へと重点をシフトしていた。二期を分ける象徴的な出来事が1953年に起こっている。まだ戦争の影が色濃く残る英国のケンブリッジ。ヴィクトリア朝様式のキャベンディッシュ研究所の一室で、DNA二重らせんモデルが完成したのである。このモデルこそは、それまで概念にすぎなかった「遺伝子」の本体がDNAという分子である事、DNAを構成する4つの塩基(A、T、G、C)を並べて遺伝情報が書かれている事を明らかにした。これを達成した二人の科学者は、米国人生物学者ジェームズ・ワトソンと英国人物理学者フランシス・クリック。しかもキャベンディッシュは、かつてアーネスト・ラザフォードが、ニールズ・ボーアが、そして仁科芳雄が核物理学を発展させた場所。分子生物学は物理学の非正統的な継承者、つまり“私生児”だったのである。

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