ヨーロッパからの大脱出
その20年前の1933年1月、ヒトラーは合法的にドイツの首相に就任し、ここにワイマール共和国が終焉した。ただちにナチスは人種差別政策を強行し、ここにユダヤ系の学者、文化人の米英への大脱出がはじまる。家宅捜索をうけたアインシュタインは、すでに兼務していた米国プリンストンへと移住。米国民から「法王が移り住んだような」歓迎をうける。さらに1938年、ドイツはヒトラーの母国、オーストリアを併合した。アインシュタインと共にベルリン大学教授だったエルヴィン・シュレーディンガー(量子力学の波動方程式の生みの親)は反ヒトラー的発言から「白いユダヤ人」として迫害され、オーストリアのグラーツへと移っていたが、さらにイタリア、英国経由で中立国アイルランドへと逃れた。
ウィーン大学教授だった精神分析の大家ジークムント・フロイトもオーストリア併合から10日もしないうちに娘アンナがゲシュタポ本部へ連行されるに至り、英国ロンドンへと逃れた。去ったばかりの彼の書斎を照明も使わずに秘かに撮った写真が残されている。ウィーンやベルリンを中心に形成された科学者、哲学者の集団、ウィーン学団(学問全体を数学、物理学や論理学を中心に再編成しようとする)も、主催者モーリッツ・シュリックが狂信的な学生に射殺された後、中心人物は米国へと逃れた。そのとりまきだったカール・ポパーはニュージーランドへ、またルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインはすでに第二の母国である英国ケンブリッジへと復帰していた。
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