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生命情報科学の源流

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第二次世界大戦の終結

 戦争が終わった時、科学者達は戦前と同じではあり得なかった。戦争に勝利するという明確な目標のもとに、ありとあらゆる奇抜な事が試みられ、そこには思いがけない出会いと平和時には考えられなかったチャンスがあった。情報という言葉すら、もともと軍事用語だったのである(森區鳥外がクラウゼビッツの地政学を翻訳した際に使用)。暗号解読だけではない。シャノン達は、どうやったら最大の速度であやまりなく通信文を送る事ができるか知ろうとする中で、情報の “量”という概念に到達した。

 殺人行為に加担した事に対する罪悪感も残った。広島に原爆が投下されたというニュースを聞いたときの無邪気な勝利感が、やがて激しい罪悪感へと変わっていく過程をウィルキンスは回想している。なによりも、帰るべきヨーロッパがもはや存在しなかった。勝者イギリスは傷つき、空襲やV2号ロケットによる攻撃でロンドンは焼け野原だった。それ以上に、ドイツの諸都市は米英の“戦略”爆撃によって見る影もなくなっていた。ハンガリーやオーストリア、それにドイツの大半はソ連軍に“解放”され、ウィーンやベルリンは米英仏ソ4ヶ国の共同統治となった。

 そこに、『生命とは何か』というシュレーディンガーの著作が残されていた。

↑シュレーディンガー著“生命とは何か”(Cambridge at the University Press,1944)第1版の中扉。日本では1951年、岩波新書の1冊として出版。一度絶版となったが2005年に復刊されている。

↑戦後、オーストリアに帰国した後のエルヴィン・シュレーディンガー。プロイセンの軍国主義的雰囲気に合わなかった事、量子力学に大きく貢献しながらも、ボーアやハイゼンベルグ達のコペンハーゲン解釈を絶対に受け入れようとしなかった事など、シュレーディンガーとアインシュタインには共通点が多い。実際、ベルリンで二人は仲の良い同僚教授だった。戦争中、シュレーディンガーはダブリンで、アインシュタインはプリンストンで統一理論(すべての物理学分野を統一的に説明する理論)を構築しようとするが、すでに学界の趨勢から孤立していた。

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