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[第1回]プラネタリウム・クリエイター 大平 貴之

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インタビュー映像 ~カメラからプラネタリウムへ

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記者 化学の方はどうなったのですか?

大平 まだ化学実験にも興味はありましたが、興味がだんだんと光学機械の方に移ってゆきました。隣のエンジニアのおじさんは天文もやっていて、時々、星を見せてくれたりしました。その影響もあったし、星はもともと好きで、部屋の天井に蛍光シールの星を貼って簡単なプラネタリウムとして楽しんでいたりもしていましたから、カメラや引き延ばし機で覚えたレンズの仕組みなど、光学分野のエンジニアリングに興味が傾いたこともあって、「自分でプラネタリウムをつくりたい!」という気持ちにつながったんだと思います。

▲「そうそう、こんな形でした」と小学生のころを懐かしそうに振り返る大平氏。おおひら たかゆき
1970年川崎市生まれ。彼の作ったプラネタリウム・メガスターは、世界一先進的なプラネタリウムとして、ギネスにも認定されている。 最近では、大人の科学マガジンふろく「究極のピンホール式プラネタリウム」や、セガトイズのホームスターなど、家庭用プラネタリウムの製作にも関わる。 著書に『プラネタリウムを作りました』(エクスナレッジ刊)。

記者 では最後に、大平さんにとって『科学』と『学習』のふろくとはどんな存在だったのかについて、お聞かせください。

大平 ふろくは“科学的なもの”に興味を感じる“トリガー(引き金)”でした。 ヒマワリの種なら植物に、秤なら化学に、カメラなら光学に興味を持つ。いい意味で振り回されているところがあって、いろんな科学の分野に対する興味が発散しつつ、集束したり統合されたりして、自分の中で異文化コラボレーションする。そして、最終的に、プラネタリウムづくりへと結実した。 ふろくはその“最初の一歩”なんです。

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