時の流れ
1950年(昭和25年)には渡辺慧さとしが渡米、IBM研究所、イェール大学、ハワイ大学等で研究した。その根底には、常に“時間の流れ”(エントロピー増大に伴う“時の矢”)を問題とする意識があった。1947年(昭和22年)渡辺慧(37歳前後)は、「時間は客観的に流れているのではなく、人間がそう認識しているだけだ」と議論している。「この認識の順序が、すべての人間に共通で、どうやらすべての動物にも共通らしいという、驚くべき事実がある。進化論的には当然のことだろう。しかし、その向きが逆ではない事は、全くの偶然で、宇宙のどこかには、我々と逆向きに自然を体験する一群の生命がいるかもしれない」。この時点でおそらく渡辺はシュレーディンガーの本をまだ読んでいなかったはずだ。
1970年(昭和45年)、60歳前後になった渡辺は先の議論をさらに進めて言う。生体の中でエントロピーが減少するということは、時計が反対に回るということだ。コップの中に一滴の赤インクを落とすと、落とした場所に関係なく、結局は一様に拡がって赤っぽい水になる。エントロピーが減少するというのは、こんな現象を撮影したフィルムを逆にまわすようなものだ。赤っぽい水は一滴のインクに集まるが、その場所がどこかは決まらない。場合によっては二つ以上の点に集まるかもしれない。だから、生命系は量子論に基づく非決定性に加えて、第二の非決定性をもっている。ここで渡辺は“逆因果律”という考えを導入する。因果律において時間的に前の現象が後の現象を決定するように、逆因果律においても、後の現象が前の現象を“制約”する。しかし、この制約は完全な決定ではなく、そこに“自由”が残る。
戦争中、ゴム弾性を対象に統計力学を研究した久保亮五も1951年(昭和26年)に渡米、磁気物理学の進歩を間近に見た。タンパク質立体構造の決定にも使われるため、今日では生物学者でも知っている、核磁気共鳴吸収(NMR)も、戦時中のレーダー技術が生んだもう一つの新技術だった。NMRの研究により1952年(昭和27年)にノーベル物理学賞を受賞したパーセルもブロッホも、戦争中、米軍でのレーダー研究に従事していた。日本海軍は知らなかったが、強い磁場中におかれると、原子核のエネルギー状態が分裂し、エネルギーの差に相当する電磁波を共鳴吸収する。この電磁波とはマイクロ波だったのである。
帰国した1953年(昭和28年)に、久保がNMRのスペクトル強度を説明する式を導いた時、正統的な説明の他に“第2の説明”を加えた。“第2の説明”はあまりにも簡単だったので「躊躇しながら付録に加えた」と久保。この“第2の説明”を一般化する事により、1957年(昭和32年)、不可逆過程の線形応答に関する久保理論(搖動散逸定理)が完成した。電気が流れたり、熱が伝わるといった物理現象の大半は、非平衡ながら安定である。非平衡という事は、エネルギーや物質が系の内、外を移動し、系が閉じていない事を意味する。生命は典型的な非平衡系である。搖動散逸定理は、こんな系を特徴付ける物理量を、熱平衡時の物理量の搖動を使って表す一般的な理論だった。晩年、久保は昔の原稿を書き溜めた箱をさがしながら、夫人に「プリゴジン博士と同じような仕事をかつてやっていた事を確かめたい」と言った事があったという。
1963年(昭和38年)、ハワイ大学で講師として教鞭をとっていた頃の渡辺慧。写真はご子息カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校哲学科名誉教授・渡辺元氏所蔵。 |
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イアン・プリゴジンは1917年(大正6年)にモスクワで生まれた。翌年にはじまったロシア革命の混乱を避けるため、一家はリトアニア、ドイツを彷徨し、結局、ベルギーに定住。1941年(昭和16年)、ブリュッセル自由大学化学部で博士号を得、1946年(昭和21年)には“散逸構造理論”に取り組んでいた。物質やエネルギーを外部とやりとりする中で(これが散逸)、ある構造が安定化する原理を解明しようとしたのである。鍋に水を入れて火にかけると、底で熱せられた水は上昇し、表面で熱を失うと下降、この対流がベルナール・セルという格子を形成する。この構造を目前にした時、この現象は生命とその進化に関係しているに違いないとプリゴジンは直感した。子どもの頃むさぼり読んだ古典が、みな“時間”を主題としていたのとは対照的に、「化学や物理の世界では、昨日と明日が同じ役割を果たせるという事が、全く不思議に思えた」。
古典的な平衡系の熱力学は、閉じた系を対象とし、系は最終的に“熱的な死”にしか向かわない。しかし局所的には、つまり非平衡系では、安定な構造が成立し得る(例えば、ロウソクの炎)。プリゴジンは1947年(昭和22年)、“エントロピー生成速度最小の定理”を証明。エントロピーを生成する速度が極小であるような構造こそが安定だと結論した。安定状態からずれるとエントロピーの増大速度は増加する。しかしこの増加量は系をもとの安定な状態に戻すために使われ、こうして作られる安定状態の一例が、“代謝を営む生命だ”とプリゴジンは考えたのである。エネルギーの流れがもっと複雑になると、もはや揺らぎを吸収できなくなり、“分岐”が起こって別の安定状態へと移行する。「だからこそ、生命は新しい形態へと進化するのだ」。
イアン・プリゴジン。1977年(昭和52年)、散逸構造理論により、ノーベル化学賞を受賞した。 |
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