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生命情報科学の源流

第8回 焼け跡の東京:デカルトとの対話

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格物致知

 敗戦後の水島研では「生命とは何か」をめぐって真剣な議論が続いていた。野田は言う。「生物学への転向を言い出したのは水島先生。ご飯を炊く以外は暇だから、何を研究すべきか、ワーワー議論した。先生ご自身は後にポーリングがやったようなタンパク質の規則的な立体構造を考えていた。一方、渡辺格さんはウイルスの研究をしたいと。大学1年のときに鮫島先生が、講義の途中でポツリと“米国のスタンリーがウイルスを結晶化したっていうけど、生きているものが結晶化しますかねえ”、その印象がとても強かった。結晶というからには物質(分子)でなければならない。生命は物質に還元できるのだろうかって悩んでね」。

 スタンリーのウイルス結晶化を渡辺が聞いたのは、戦後、水島研で光合成を講義した田宮博からだった。興味を持った渡辺が医学部卒の兄にウイルスについて聞くと、「日本の生物学者は結晶化の話にほとんど無関心だが、伝染病研究所の川喜田愛郎教授たちの間ではおおいに議論されている」。川喜田のところへは、戦争中の1943年(昭和18年)ハンブルグの熱帯病研究所から潜水艦U511が黄熱病ウイルスを運んだ事もあった。アフリカ上陸の可能性に備え、陸軍は黄熱病のワクチンを作ろうとしたのである。兄の紹介で川喜田に会い、心酔した渡辺は、ウイルスの本体が核酸をタンパク質が包んだ核タンパク質だと知る。東京文理大の有機化学教室に米国で出版された本『核酸』があった事を思い出して借り受け、「間借りしていた二階の一室で、生まれたばかりの長男をおぶって1ページずつ筆写した」。

「昭和21年(1946年)の夏休み、寝転んで空を見ていた時、“物理化学”と“精神”の間に生命を挟みこめば、心を自然科学で理解できるかもしれないと思った。しかしこれは、デカルト以来の“物質と精神の分離”という基本に反する。そうしたら、夢にデカルトがあらわれて、“物質と精神の分離は、キリスト教社会で科学を進めるための方便にすぎない。事物の本質を知る『格物致知』が大切、それは、生命世界を知ったうえで魂へと迫るための回り道である”と」。四書五経の一つ、『大学』に書かれた「知に致るは物に格るなり」(事物の本質に立脚して知識に到る)という言葉は、父親の赴任地の島根県で生まれた渡辺に、当時の県知事が“格”と命名した由来だった。知と物、精神と物質の総合こそは、渡辺の生涯のモティベーションだったらしい。しかし、渡辺は詳しい説明を書き残していない。

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