生命情報科学の源流のトップへ WEB連載

生命情報科学の源流

第8回 焼け跡の東京:デカルトとの対話

書籍関連・映画のご紹介

キャベンディッシュ研究所

 ケンブリッジ大学では、キャベンディッシュ研究所のブラッグ(子)所長のもと、戦争中の軍への協力から解放されたペルーツやケンドリュー達がタンパク質立体構造の決定に取り組んでいた。戦前から、よくX線を回折するタンパク質結晶は存在した。回折から立体構造を決めるためには、X線の強度と位相を知る必要がある。回折の強度はフィルムの感光度(写真の黒さ)から測定できる。問題は回折の“位相”をどうやって決めるか。この点で、X線回折は対物レンズしかない顕微鏡に似ていて、接眼レンズによる結像過程を計算で処理しなければならないのだ。「あの頃、私は生活に不断の不安を覚え、大学を辞めて就職しようかと真剣に考えた。化学者の私やケンドリューが物理学の研究所で生命を研究している。正気の沙汰ではなかった。」とペルーツ。

 1949年(昭和24年)、彼らの元へフランシス・クリック(33歳前後)がやってきた。ロンドンでの研究を中断して、戦時中、海軍での磁気機雷の研究に従事した後、学位の取得のために復学したのである。シュレーディンガーの『生命とは何か?』を読んだクリックは、「おしゃべりテスト」で自らの進むべき道を決めた。自分が最も長い時間おしゃべりしている話題こそが自分がもっとも関心を持っている研究課題。この結果、生物と無生物の境界あたりに進むべき道があると結論した。バナールに傾倒していたクリックは、当初、バナールの生物分子研究所に参加しようとしたが、受け入れてもらえなかったのである。

書籍関連・映画のご紹介

BACK 1   2   3   4   5   6   7   8   9   10   11   12 NEXT

生命情報科学の源流のトップへ このページのトップへ