|
↑「鉄腕アトム」は、物語の中で2003年に誕生したとされ、実際に2003年になった時、様々な企画が催された。これはこの時に発行された切手。日本の核物理学の祖、土星型原子モデルを提案した長岡半太郎(中段)のイメージが社会に定着し、これがアトムを生んだ。「鉄腕アトム」の中に描かれた、原子力エネルギーが実用化され、ロケットが飛びかう世界は、かつて科学技術庁がこの国に開設された時、その職員達が理想とした未来でもあった。H2型ロケットの発射が立て続けに失敗し、動燃の事故がおこった後、その責任から科学技術庁はもはや独立した省庁としての存在を許されていない。 |
|
|
|
↑1922年12月3日、松島遊覧の際に撮影された記念写真。前列中央のアインシュタインの向かって左隣には金属材料研究所の本多光太郎(KS鋼マグネットを土産に手渡した)、右隣には、東北帝国大学の愛知敬一(仙台の講演を通訳)、さらにその右隣で笑みをうかべているのは改造社社長の山本実彦である。 |
|