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3月論文(第1論文)

 金属を溶かしたり陶磁器を作るために炉を高温にすると、光が発生する(輻射という)。料理用のオーブンがあたたまった時にも光はでているのだが、目で見えるほど波長が短くない(赤外線)。さらに熱くなると、やけた鉄が赤く見えるように輻射は可視光の領域に入ってくる。炉の中の光の色(波長、あるいはその逆数、周波数)から正確に温度を測定する事ができればきわめて有用。すでに1792年には英国の製陶家ウェッジウッドが「900℃…オレンジ」といった記録を残している。輻射が炉を構成する物体の種類によらない事から、ここに何か根本的な問題が含まれている事は明らかだった。

 20世紀末にベルリンの研究者達が、温度と輻射光の波長の関係を精密に測定した。1897年ごろからこの問題にプランクがとりくみ、1900年に実験データによく合致する経験式を導いた。この式を理論的に説明しようとして努力を重ねるうちに、プランクは黒体内部の壁に電気的な振動子の集団を想定する。壁を熱すると振動子の振動が激しくなり、振動子から輻射される光の波長は短くなる。プランクはボルツマンと不仲で、ボルツマンによるエントロピーの説明も半信半疑だった。しかし自分の式の説明のためにはボルツマンの理論を認める事が必要だったのである。輻射の状態を数えてエントロピーを定義する式を考案する事により、自らの式を説明する事にやっと成功した。この式によれば、振動子のエネルギーはエネルギーhν(ここでνは振動数、hは定数)の固まりのように“見える”。プランクは、あくまでこれは表現の問題で物事の本質ではないと考えようとした。しかし、hνはどうしても有限の値となり、これを無限に小さくしてエネルギーを連続量にする事はできなかったのである。

 アインシュタインは、これが本当にエネルギーの量子性を示していると考える。そして量子性の根源を壁から空中へと放つ、つまり光そのものへと量子性を求めようとする。アインシュタインは、光の量子性を仮定する事によりボルツマンの式を使ったエントロピーの表現を導き、これをもとにプランクの式を説明した。さらに、同じ出発点から光電効果を説明する。光電効果とは、金属板に光を当てると正の電荷を持つ現象である。この時、金属板から電子が放出されていて、そのエネルギーは入射光の振幅(波のふれの大きさ)ではなく振動数(波が単位時間にくり返す頻度)で決まる事が知られていた。波のエネルギーはその振幅で決まっているから、この事実は光が波であるという仮定と矛盾する。この時、アインシュタインが導いた式の中にまたしてもアボガドロ数がふくまれていて、これをもとに6.17×10の23乗という驚くべき精密な値を算出している。

 プランクの式とアインシュタインの光量子説、そしてニールズ・ボーアの原子軌道モデルの3つは前期量子論を構成し、これが出発点となって量子力学が完成する。アインシュタインやプランクの議論のスタイルからして、量子力学の中には、ボルツマンの式、すなわち「時の矢」がひそかにしのびこまされていたのである。やがて量子力学は思いもかけない形で「時の矢」の再解釈を物理学者達につきつけることになる。

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