最後の著作『Mind from Matter?』の中で、デルブリュックは「人間の認識は日常の範囲内できわめてよく自然界と対応するよう設計されている」。ヴィトゲンシュタインは『論考』の中で、両者の関係を絶対と見なし、言語で記述できないような自然現象は存在しないとまで極論した(言語ゲーム)。「しかし、非日常的な現象、たとえば量子力学が扱う極微の世界、あるいはゲーデルの不完全性定理が対象とする無限の世界に対するとき、人間の認識は限界に達し、対象から離反していく」とデルブリュックは続ける。認識が自然界を反映する事実の拠りどころとして、コンラート・ローレンツの“動物行動の自然選択”、つまり、得な認識形態を持つ生物が生き延びてきたと説明した。
デルブリュックの説明が正しかったとしても、疑問は残る。結局、物理学を相補うもの、物理学に欠けているものとはいったい、何だったのか? 人間の常識ではとらえられないものの1つが“生命”なのか? デルブリュックは、“情報”という概念にきわめて無関心だったようだ。『Mind from Matter?』の中でもこの言葉は使われていない。それともこれもまたデルブリュック流のポーズだったのだろうか。