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生命情報科学の源流

第6回 1945年:最終秘密兵器

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絶対国防圏の崩壊

 1944年(昭和19年)、日本が死守しようとした“絶対国防圏”の内側に位置するマリアナ諸島サイパン島に米軍が上陸し、6月15日、沖合で日米の航空母艦部隊が相まみえた。 日本海軍が夢見た“内南洋での艦隊決戦”が実現したのである。日露戦争での日本海海戦の大勝利を再現するためには、フィリピンを攻略し、これを奪還しようと出動する米艦隊と中部太平洋の西側、真珠湾とフィリピンを結ぶ線上で戦う。当初は戦艦群が主役と予定されていたのだが、日本海軍が真珠湾で航空機の威力を示した結果、空母対空母の決戦に変わったのである。

 新造空母大鳳に乗艦した小沢治三郎提督は、アウトレンジ攻撃にでた。大鳳は、全金属性甲板と高い煙突を持ち、隼鷹を大型にしたような姿をしていた。ミッドウェーの教訓を最大限にいかそうとした海軍は、改装中の隼鷹に新設計を試し、その成果に基づいて大鳳を完成した。アウトレンジとは、より長距離の砲を持つ艦が、相手の砲の届かない遠距離から攻撃する戦法の事。日本艦載機の飛行距離が長い事から、小沢は米軍機の届かない遠距離から米航空母艦を襲ったのである。母艦群から約300機の日本機が発進したとき、誰もが大勝利を確信した。

 しかし、真珠湾の頃とはパイロットの技量が違っていた。米軍が制空権を握る中、燃料もなく、飛行練習すら自由にならなかった。多くの日本機は目標に到達する事もなく太平洋の島々に不時着した。やっと15隻の米空母に到達した機は、レーダーで制御された対空砲火の餌食となった。米海軍は、この戦いを“マリアナの七面鳥撃ち”と呼んでいる。米部隊は艦載機を海中に不時着させる捨て身の戦法で長距離をおして反撃、日本軍空母3隻に損害を与えた。米潜水艦アルバコアが大鳳に命中させた魚雷は、当初、大きな被害を与えず、大鳳の速力が落ちる事もなかった。しかし、故障した航空機用エレベーターに蓋された艦内にショックでもれた燃料が気化、充満し、爆発した大鳳は海中に没した。

1944年(昭和19年)6月、撃墜される日本軍機。マリアナ沖海戦は、アメリカの圧勝に終わる。日本はこの戦いで、空母3隻、航空機約200機を失い、絶対国防圏の要であるサイパン島を失った。

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