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生命情報科学の源流

第6回 1945年:最終秘密兵器

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光と生命

 “勢号”の一環として、海軍は東大医学部放射線科にマイクロ波の生理作用の解明を、また東大理学部化学科・水島研究室にマイクロ波の化学作用の解明を依頼。光と物質の相互作用の国際的権威だった水島教授のほかに適任者は考えられなかった。メンバーの中心に、研究室の卒業生で、東京文理大助教授になっていた渡辺格がいた(野田の先輩、我が国の第一世代の分子生物学者。その元学生がノーベル賞受賞者の利根川進)。マイクロ波は水分子の運動を加速し、熱発生ぐらいの効果しか示さなかった。実際、この現象が後に電子レンジを生む(英語では、そのものずばりマイクロウェーブ)。しかし、もっと波長が短いX線なら細胞に突然変異をおこす事、その標的がリン原子を含む、つまりDNAである事を渡辺は文献から知る。

 1965年(昭和40年)に朝永がノーベル物理学賞を受賞したとき、ともに受賞したシュヴィンガーやファインマンも、戦争中、太平洋の反対側で同じような軍事研究に従事していた。殺人光線という発想すら、日本の独創ではなかった。英国のワトソン=ワットは戦前に述べている。「いわゆる殺人光線なる兵器が実用可能としたところで、その狙いをどうやってつけるのかが解決されねば、防衛に使う事はできない」。

 “勢号”用発振管は結局、完成しなかったが、殺人光線の伝説は継承された。朝永のノーベル賞受賞の翌1966年(昭和41年)、大映製作『ガメラ対バルゴン』に登場する「殺人光線」はやや小ぶりながら、マイクロ波、突然変異と刺激的な言葉がとびかう。1965年(昭和40年)東宝製作の和製フランケンシュタイン映画の中では、ドイツから運ばれた“不滅の細胞”が広島で原爆の放射能を浴び、巨大人間に成長して怪獣と戦う。翌年の続編中、一度は滅びた“不滅の細胞”が山中でサンダとして再生、海中で再生したガイラと戦う。そこに登場した「メーザー砲」こそは、勢号が実現した姿だった。こうして、ボーアが講演した「光と生命」の重要な関係は日本の庶民にも浸透した。

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