『生命とは何か?』
1951年(昭和26年)5月、ナポリの臨海実験所で開かれた生物物理学の研究会でモーリス・ウィルキンスが使った“DNAの結晶”という言葉にジェームズ・ワトソンは驚愕した。「シュレーディンガーが『生命とは何か?』に残した、遺伝子とはどんなものかという予言に一致する!」。デルブリュックは、ファージ・グループの若手二人、ガンサー・ステント(28歳前後)とワトソン(23歳前後)を“DNAの化学”を学ぶためにコペンハーゲンに出していたのである。戦前のカリフォルニア工大でデルブリュックがカルカーに会った時、二人はボーアの話でもりあがったのかもしれない。しかしカルカーの専門はATPの代謝で、DNA立体構造の理解にはあまり役立たなかった。
『生命とは何か?』をよく読めば、デルブリュック同様、化学が苦手なシュレーディンガーが「結晶」を「固体」あるいは「高分子」という程度の意味に使っていた事がわかる。ウィルキンスが使った“結晶”と同じではなかったのだ。しかし、ウィルキンスもまた、シュレーディンガーの本の影響を強く受けていた。ウィルキンスはニュージーランド生まれ。戦争中、まずはレーダーの表示装置(スクリーン)を研究し、次に、イギリス・チームの一員として、カリフォルニアでのウラニウム濃縮に従事した。広島への原爆投下のニュースを聞いた時、最初の無邪気な勝利感が、激しい罪悪感へと急転した過程を書き残している。米国人女性との結婚が破綻し、生まれた子どもに会うことすらできない傷心の帰英。シュレーディンガーの本を読み、「“死”ではなく生命が知りたい。非周期性結晶というのは、レーダースクリーンの発光結晶(液晶の原型)みたいなものか?」。
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